[ 2014年7月15日7時53分

 紙面から ]<W杯:ドイツ1-0アルゼンチン>◇決勝◇13日◇リオデジャネイロ

 歴史が動いた!

 ドイツが6大会ぶり4度目、東西統一後は初となるW杯制覇を達成した。準決勝ブラジル戦に続き、決勝でアルゼンチンを延長の末に撃破。欧州勢として初めて南米開催大会での優勝を飾った。ベルリンの壁が取り壊され、90年に東西統一。その後の低迷期を、選手育成の見直しや、人種・出身地の違うメンバーを融和させるチーム作りで乗り越え、世界の頂点に返り咲いた。

 ドイツサッカー界にとっての東西統一が完結した。終了の笛が鳴ると選手たちはピッチに重なり合って倒れ込み、勝利を喜んだ。トルコ系のエジルとポーランド出身のポドルスキが抱き合い、誰もが黒人のボアテングを祝福。W杯最多16得点を誇るクローゼは、自身に代わって途中出場して決勝点を決めた22歳ゲッツェのもとへ歩み寄った。「『お前が点を決める気がする』と話してた。だからとてもうれしい」。人種や年齢の壁を乗り越えた「ファミリー」の姿がそこにあった。

 89年にベルリンの壁が壊され、翌年10月に東西が一緒になった。西ドイツとして90年大会を制した時、「次回はもっと強いドイツが見られる」といわれた。だが逆にチーム内はギクシャクし、勝てない時期が続いた。クラブ単位で選手を強化してきた「西」と、社会主義の中でサッカーに取り組んできた「東」の違いは想像以上に大きかった。

 94、98年と8強で終わると、一から強化方針の転換を図った。国内リーグのレベルを上げるため、厳しいライセンス制度を設けてクラブの健全経営を指導。チームには一定数以上、自前で育成した選手を登録するように義務付けた。06年から「Respekt!

 Kein

 Platz

 fur

 Rassismus

 (リスペクト!

 人種差別に居場所はない)」運動も実施した。ブンデスリーガは今や、世界最高の観客動員数を誇るまでに成長した。

 そんな中で生まれた選手を束ねたのが06年就任のレーウ監督だ。「先発の11人だけでなく、交代の3人を含めた14人が大事」を哲学に、控えの調子にも注意を払った。決勝点のゲッツェ、アシストのシュルレはいずれも途中出場。采配的中は偶然ではなかった。

 今大会は1度も先制を許さず、7試合で18得点4失点。ブラジルを7-1でたたきのめし、アルゼンチンも退けた。5度目の南米開催大会を、欧州勢として初めて制する偉業に指揮官は「ドイツは常に進歩してきた。タイトルを取る時期が来たということ」と自負を込めた。

 試合後、ポドルスキは、メルケル首相とW杯トロフィーをかかげる写真をツイッターにアップした。第2次大戦から憎しみあってきたポーランドとドイツのわだかまりすら、そこにはなかった。だが、これで終わりではない。レーウ監督は「このチームには未来がある。エジルやゲッツェも若く、まだまだ先がある」と輝かしい未来へ期待を込めた。