落球をした選手…殴らなかった/渡辺元智2
渡辺の標的は定まった。「打倒東海、打倒原」。元巨人監督の原辰徳の父である原貢は、65年夏に初出場の三池工(福岡)を優勝へ導き、東海大相模へやってきた。原の元へ、全国各地から有望な選手が集結した。「相模には日本一のグラウンドと選手がいて、うちは落ちこぼれ。ひがみや、ねたみもあった」。渡辺が就任した翌69年夏の県大会決勝で初めて相まみえ、0封負け。東海大相模が甲子園に初出場した。
「あの時は若かったから、倒してやる! の一心だった」
叔母の家の車を売った金で航空券を買って選手集めに出向いた。意中の選手には断られたが、大阪から捕手の井須博巳がやって来ることになった。しかし、受け入れる合宿所がなかった。遠縁だった紀子(みちこ)と結婚し、6畳一間のアパートに川の字で寝る新婚生活が始まった。
東海大相模のグラウンドが見下ろせる土地にバラック小屋を建て、毎日「打倒・東海!」を叫んだ。70年夏には東海大相模が全国制覇を達成した。「負けが続くうちに、原さんへ畏怖の念を持つようになった」。ねたみではなく、畏敬の念を持つようになった。原とゴルフへ行き、酒を交わすようになった。
73年春。2年生エース永川英植を擁しついに甲子園初出場を果たした。小倉商(福岡)との初戦(2回戦)で、長崎誠が大会史上初のサヨナラ満塁本塁打を放ち劇的勝利を飾った。3試合を勝ち抜き、決勝戦の相手は元広島の達川光男を擁する広島商。準決勝で元巨人の江川卓率いる作新学院(栃木)を破り勢いづいていた。
試合は延長戦に入った。1点リードの10回裏。捕れば優勝の決まった飛球を、左翼の冨田毅が落球し同点となった。スタンドがざわめき聖地に一瞬の間ができた。ベンチへ戻ってきた冨田を迎え入れた渡辺は、手をあげることなく言った。
「次(打席の)順番が回ってくるんじゃないのか。打てばいい」
冨田は泣いていた。11回表2死二塁。本塁打なんて打ったことのない男が決勝2ランを放った。初出場初優勝が転がり込んだ。「あの時は愛情を持ってかけた言葉ではなかった。冨田がベンチに戻るまで一呼吸入ったから殴らなかっただけなのかもしれない。ただ、さりげなくかけた言葉の意味を、後々自分で感じ取ることになる」。初めての聖地での戦いは、指導者人生の目次になった。
勢いづいた横浜は74年春も甲子園へ出場したが、夏は神奈川大会決勝戦で敗れた。盛夏の扉が重く、周囲から「また夏はだめなのか」と誹謗(ひぼう)中傷を受けた。時に3桁を超えるほど集まった個性の強い部員らを、1人で見ていたことにも疲れ果てていた。「耐えきれずに出て行った」。渡辺は逃げ出した。
(敬称略=つづく)【和田美保】
(2018年3月20日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)
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2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。その記念大会へ向け、日刊スポーツが総力を挙げた連載を毎日掲載します。