福嶋一雄(小倉)/第7弾
全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第7弾は、小倉中、小倉、小倉北のエースとして夏2連覇を果たした福嶋一雄さん(86=日本野球連盟九州地区連盟副会長)。連覇達成の1948年(昭23)の夏は、甲子園全5試合完封勝利という快投でした。夏3連覇できず甲子園の土を初めて持ち帰ったともされているレジェンド、福嶋氏の高校時代を7回の連載でお届けします。
- 絶妙なコントロールを誇った福嶋氏
◆福嶋一雄(ふくしま・かずお)1931年(昭6)1月6日、福岡県出身。学制改革以前、当時5年制だった旧制中学制度のもと、小倉中3年時の46年夏の大会でメンバー入りしたが、登板なし。その後、小倉中-小倉-小倉北(現小倉)で47年春~49年夏の甲子園に登板し、春夏通算17勝(8完封)。47年夏には九州勢として初優勝。48年夏は39年嶋清一(海草中)に並ぶ5完封、45イニング連続無失点の大会タイ記録を達成して2連覇を果たした。卒業後は早大、八幡製鉄(現新日鉄住金)でプレー。引退後、アマ球界の要職を歴任し、13年1月に野球殿堂入りを果たした。現役時代は177センチ、60キロ。