鬼神のごとく聖地のマウンドに君臨した吉田の頬に、悔し涙がつたった。11点差の9回2死。力のない飛球を見届けると、背番号1は主将の佐々木大夢に肩を抱かれながらベンチを飛び出し、号泣しながら整列に加わった。「ここで優勝したかった。応援してくれた人たちに優勝を届けたかった」。秋田の先輩が決勝で負けて103年。吉田の右腕ですら、東北初の優勝旗はつかめなかった。
いつもの吉田と違った。初回無死一、三塁。3番中川、4番藤原を連続三振に切ったが、その後暴投と適時打で3失点。4回には宮崎に3ラン、5回にも根尾にバックスクリーンに2ランを浴びた。「4回から疲れがたまって、下半身に力が入らなくなった。根尾には完全に持っていかれた。大阪桐蔭には全く歯が立たなかった」。6点を失った5回後に降板。決勝前日の夜には帽子のひさしの裏には「マウンドは俺の縄張り 死ぬ気の全力投球」と書き込んでいたが、2番手の打川にマウンドを譲った。秋田大会からの連続投球回数が93で途切れ、6回からは右翼を守った。
甲子園に愛された男だった。吉田が降板後の6回、8回には打席に立つと場内が拍手に包まれた。「情けない姿を見せたのに、応援が聞こえた。頑張れば頑張れるほど応援してくれた。込み上げてくるものがあった」。
9人で戦った姿も感動を呼んだ。同校OBの父を持つ吉田と菅原天が中心となって、所属していた秋田北シニアのメンバーを同校に誘って7人が集結。「吉田が金農に行くなら甲子園に行ける」。打川は中学時代は主戦だったが「輝星がいたらエースになれないけど」と同校へ。決勝で敗れはしたが、吉田は「甲子園では勝つ気持ちで、9人が戦えた」と胸を張った。
試合終了直後は放心状態だった。進路については「まだ全く考えてない」と答えたが、試合後のお立ち台では「いずれはプロに行きたい」と宣言。続けて「この準優勝は今後の野球人生で取り返したい。一番最高なのは、またプロで対戦して抑えたい」と根尾、藤原らとの再戦を願った。大会前までは大学進学が既定路線だったが、甲子園の熱投でスカウトからの評価もうなぎ上り。U18日本代表に選ばれ「日の丸を背負って戦いたいなと思っていた。優勝を狙います」。吉田が甲子園で投じた881球は、100年後の未来にも語り継がれる。【高橋洋平】