横浜率いた渡辺氏「西谷君追い越せ」門馬監督を祝福

  • 決勝戦を解説する渡辺元智氏(撮影・前岡正明)

<センバツ高校野球:東海大相模3-2明豊>◇1日◇決勝

東海大相模が横浜に並んだ。第93回選抜高校野球大会(甲子園)の決勝は、東海大相模が明豊にサヨナラ勝ち。11年以来10年ぶり3回目のセンバツ優勝を果たした。夏も含めると甲子園通算5回目の日本一で、横浜の優勝回数に並んだ。解説で球場を訪れていた元横浜監督の渡辺元智氏(76)は、東海大相模・門馬敬治監督(51)を祝福した。

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東海大相模5回目の甲子園Vを見届けた渡辺氏は、門馬監督に賛辞を贈った。

渡辺氏 選手が徹底してますね。東海大相模の野球をやって、その中で相手を見て決断する監督術。ここというところでアグレッシブに動いてね。ヒットエンドランを掛けてみたり。

初回表に1点先取を許すも、その裏すぐにスクイズで追い付いた。足も絡め、攻撃。継投は先発の石川から2年生の求、最後はエース石田と、ピンチで積極的につないだ。金看板「アグレッシブベースボール」でつかんだ栄冠をたたえた。

自らの指揮で重ねた横浜の優勝5回に並ばれた。悔しさなど毛頭なく、むしろうれしそうだった。「いやいや」と言って、続けた。

渡辺氏 地元に、神奈川に、強いチームがあった方がいいんです。それが神奈川のチームのためになる。神奈川県の第一人者になって。神奈川県というより、東日本の雄に。ひいては日本の。大阪桐蔭の西谷君と同じ年齢でしょうけど、彼に追いつけ、追い越せで。素晴らしいこと。神奈川のレベルも上がっていく。

かつて、門馬監督は優勝回数が並ぶことに「目標にできるチーム、人がいるのは大きなこと」と言った。目標にされた渡辺氏は、15年夏の神奈川大会決勝で東海大相模に0-9で敗れ、勇退。その夏の日本一は、東海大相模だった。

渡辺氏 門馬君が追っかけてくれる中で、最後は門馬君にやられて引退。そういう意味では、感慨深いものがありますね。

21年4月1日。神奈川の高校野球史に刻まれる日となった。【古川真弥】

◆東海大相模 1963年(昭38)に東海大の付属校として創立された私立校。生徒数は1831人(女子752人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は56人。甲子園出場は春は今回で12度目、夏11度(優勝2回)。主なOBは巨人原辰徳監督、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕氏ら。所在地は相模原市南区相南3の33の1。土井崇司校長。

◆門馬監督が春最多V 東海大相模・門馬監督は00、11年に次ぐセンバツ3度目の優勝。監督の春3度Vは尾藤公(箕島)中村順司(PL学園)渡辺元智(横浜)西谷浩一(大阪桐蔭)の各監督に並ぶ最多。監督通算勝利は史上17人目の30勝に到達した。勝率8割1分1厘(30勝7敗)は30勝以上の中で中村監督(8割5分3厘)西谷監督(8割4分6厘)に次ぐ3位。

▽東海大相模・求(2番手で2回1/3、1安打無失点)「石川さんが踏ん張ってくれた。石田さんまでつなごうと思って投げました」

▽東海大・井尻陽久監督(70年夏の甲子園初制覇時の主将)「昨年は大学が対外試合禁止処分を受け、つらい年でした。それだけに付属校の優勝は、東海大グループにとってこんなにうれしいことはない。門馬監督を抱きしめたいくらいです。昨秋、関東4強に残れなかったのにセンバツに選んでいただいた。それを彼は本当に感謝していた。その気持ちを実らせた優勝だったと思います」

▽中日渡辺勝(11年センバツ優勝)「僕らが優勝した時は東日本大震災で大変な時で、今回はコロナの影響で世の中が大変な時。いろいろな制約がある中で後輩が頂点に立ったことは、うれしく思います」

▽西武山村崇嘉内野手 「後輩たちが頑張ってくれてうれしいです。高校野球では春に強かったチームは夏に弱いと言われるので、まずはしっかり喜んで、その後はしっかり地に足をつけて練習を頑張ってほしいと思います」

▽オリックス吉田凌(15年夏の甲子園V)「春と夏で違いはあるとは思いますが、僕たちの代の夏の甲子園以来の優勝ですし、うれしく思っています。プロ野球もそうですが、このような状況の中で大会を行えたことに感謝の気持ちを忘れずに、春夏連覇を目指して頑張ってほしい」

▽広島田中広(08年卒。2年春に出場)「うれしいです。励みになります。この大変な中で一生懸命やっている姿に僕も頑張らないといけないなと思いました。(門馬監督次男、功内野手について)小さい時から知っているので、相模のユニホームを着てプレーをしているところを見るのはすごく感慨深いです」

▽DeNA田中俊 優勝おめでとうございます。最後まで諦めずに戦う姿勢は本当に素晴らしいと思います。大変な状況の中で一生懸命プレーする姿に、僕自身も頑張らないといけないな、と思います。

▽阪神遠藤(東海大相模卒の2年目内野手)「ずっと日本一と言ってやってきた中で、センバツで日本一を取ってくれました。石田とかも『絶対優勝します』と言っていたので、優勝できて自分もうれしいです。(自分が)3年生の時の1年なので、みんなかわいがっています。春夏連覇という目標に変わると思いますけど、その日本一を取るために一から、相模の野球を続けていってほしいですね」