聖光学院、涙の準V 夏は初4強、目標の日本一あと1歩「悔しさ。寂しさ。両方こみ上げた」

  • 7回表聖光学院無死、三ゴロに倒れる赤堀(撮影・鈴木正人)

<高校野球栃木国体:大阪桐蔭5-1聖光学院>◇5日◇決勝◇宇都宮市清原球場

聖光学院(福島)の最終章は「涙の準優勝」で幕を閉じた。大阪桐蔭に1-5で敗戦。県勢初の国体単独優勝を逃し、チーム目標の「日本一」にあと1歩及ばなかった。現3年生は入学当初から「力のない世代」と首脳陣に言われ続けた。それでも、赤堀颯主将(3年)を中心に「弱み」を力に変え、今春センバツ出場。夏は同校史上初の4強入り。頂点に立つことはなかったが、はい上がってきた歩みに偽りはなかった。

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真っ黒に日焼けした赤堀主将の頬に、涙が流れた。悔しさをこらえ切れない。祭典ムードも漂う国体だが、目標の「日本一」を果たす最後のチャンスにすべてを懸けていた。「優勝することができなかった悔しさ。この仲間ともう一緒に戦えない寂しさ。両方の思いがこみ上げた」。試合終了後、スタンドへのあいさつを終え、苦楽をともにした仲間と涙ながらに抱き合い「ありがとう」と感謝の思いを伝えた。

「力のない世代」。入学当初、3年生はそう呼ばれていた。「最弱」を「最強」に。「無類のチーム」を合言葉に強さを追求し続けた。今春センバツ出場を果たすと、今夏は同校初の4強。実力のなさを真摯(しんし)に受け止め、ひたむきに努力を積み重ねた勲章だ。3年生は1歩ずつのし上がっていった。

赤堀主将 自分たちがチームに誇りを持って最後まで戦い、自分たち自身が感動して『日本一のチームだった』と思えるかが基準でもあった。優勝はできなかったけど、そこは達成できて、ひとつの財産かなと思います。

最後の舞台となった国体。日本一には届かなかったが、2年半の歩みを証明してみせた。

1-5で迎えた9回無死。赤堀主将らしい現役最後の打席だった。「人生を懸けて振ってこい!」。斎藤智也監督、横山博英部長、仲間からそう打席に送り出された。フルカウントからの6球目。外角145キロ直球を流し打ち。二塁手の頭上をわずかに越えた打球は中前で弾んだ。「自分の力は半分。たくさんの力が働いて良いところに飛んだ。いろんな思いが詰まったヒットだった」と感慨深そうに振り返った。

後悔はみじんもない。憧れた「聖光学院」で完全燃焼できた。中学3年時、赤堀主将は「聖光学院は常に小技を駆使して、泥くさく戦っている。試合が終わればユニホームがどろどろになっている」と心を奪われた。地元関西を離れ福島へ。背番号6をつけ「不動の1番打者」となり、誰もが信頼を置くキャプテンとなった。「自分が思い描いていた聖光学院らしい野球を体現できた。この仲間と出会えたこと、(斎藤)監督さん(横山)部長さん、コーチの方々とお会いできて、縁を感じながら最後まで戦えたことが幸せでした」。笑顔でそう言い残した赤堀主将のユニホームの「聖光」の2文字は、泥で汚れていた。【佐藤究】

▼聖光学院・斎藤智也監督(59=引退する3年生について)「よくやったとしか言いようがない。これまですごくこの子らをかわいがってきたし、逆にこの子らは俺らのことを信頼してくれた。ありあまるほど一緒に感動して泣いてきた代です」