【甲子園】関東第一初V届かずも知らないおばちゃんから「頑張ってね!!」感じた下町のぬくもり
<全国高校野球選手権:京都国際2-1関東第一>◇23日◇決勝
下町の期待を背負った関東第一(東東京)は、甲子園初優勝にあと1歩届かなかった。センバツ初戦敗退後、チームはどん底に。指導歴24年の米沢貴光監督(49)が立て直し、豊富な投手陣を軸にディフェンス型のチームを作り上げて“シン時代”の高校野球を接戦で勝ち上がった。
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関東第一の下町パワーは、頂上まであと1歩だった。チームを率いて24年、初めて甲子園決勝に進んだ米沢監督は「当然もう、悔しいですよね」。狙った金メダルは、わずかの差で銀メダルになった。
東京・江戸川区瑞江の生まれ。「近所の方々に野球を教えてもらったのが原点」と懐かしむ。荒川に江戸川と多くの川に囲まれ、それら河川敷にはグラウンドが多い。「野球は昔から盛んだし、支えていただいているのはボランティアの指導者の方々ですよね」。ボールを投げたら川の向こうに届くかな-。下町の野球少年ならではの原風景だ。
時代は変わる。広い空へ東京スカイツリーが伸び、関東第一の校舎からも拝める。そのふもとでは「子どもの数が減って野球チームもなくなったり、吸収合併になったり、いろいろ聞きます」。それでも「彼がすごく頑張ってくれて、何かまた1つの力になれば」。
彼、というのは決勝でも先発好投した背番号10の畠中だ。区内の上一色中の出身。畠中は今春、センバツ出場が決まった直後の記憶が忘れられない。「制服で商店街を歩いていたら、知らないおばちゃんから『甲子園決まったんでしょ? 良かったね、頑張ってね!!』って言ってもらえたんです」。普段は千葉県内で練習する彼らにとって、通学時に感じる下町のぬくもりは極上のいやしだ。
東東京勢としては95年の帝京以来、全国制覇から遠ざかる。帝京の監督を勇退した前田三夫氏(75)、関東第一の元監督である小倉全由氏(67=U18日本代表監督)ら多くの思いを背負い、チームカラーの紫をまとって江戸の代表として戦った夏。「本当に温かい声援をいただいて感謝しかありません」。密になれないコロナ禍を経て、下町がまた濃密になった夏だった。【金子真仁】
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