【甲子園】京都国際・小牧憲継監督は大黒柱 野球部員61人&夫人と長男と5歳4つ子の7人家族

  • 京都国際対関東第一 優勝インタビューを受ける京都国際・小牧監督(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 選手にサインを送る京都国際・小牧憲継監督(撮影・石井愛子)
  • 京都国際対関東第一 関東第一・米沢監督(右)と話をする京都国際・小牧監督(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 関東第一・米沢監督(右)と話をする京都国際・小牧監督(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 関東第一・米沢監督(右)と話をする京都国際・小牧監督(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 関東第一・米沢監督(右)と話をする京都国際・小牧監督(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 試合を終え、互いの健闘をたたえ合う京都国際・小牧監督(左)と関東第一・米沢監督(同2人目)(撮影・上山淳一)
  • 甲子園球場入りする京都国際・小牧監督(左端)と選手たち(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 試合を終え、互いの健闘をたたえ合う京都国際・小牧監督(左)と関東第一・米沢監督(同2人目)(撮影・上山淳一)
  • 京都国際対関東第一 試合を終え、互いの健闘をたたえ合う関東第一・米沢監督(右)と京都国際・小牧監督(撮影・上山淳一)
  • 試合後、笑顔で会話を交わす京都国際・小牧監督(右)と関東第一・米沢監督(撮影・足立雅史)
  • 試合前、ノックを行う京都国際・小牧監督(撮影・足立雅史)
  • 甲子園球場入りする京都国際・小牧監督(左端)と選手たち(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 初優勝を決め歓喜する京都国際(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 初優勝に歓喜する京都国際・西村(左から3人目)ら(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 初優勝を果たしアルプスに駆けだす京都国際ナイン(撮影・石井愛子)
  • 京都国際対関東第一 10回から登板した京都国際・西村(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 初優勝を果たし両手を挙げ喜ぶ京都国際・西村一毅(撮影・石井愛子)
  • 京都国際対関東第一 京都国際2番手の西村(撮影・上田博志)
  • 京都国際対関東第一 初優勝を決めガッツポーズする京都国際・西村(撮影・足立雅史)
  • 京都国際の決勝に同校と紺色のポロシャツを身にまとった京都成章ナインが声援を送った(撮影・中島麗)
  • 京都国際の決勝に同校と紺色のポロシャツを身にまとった京都成章ナインが声援を送った(撮影・中島麗)
  • 京都国際対関東第一 関東第一を破って優勝し、歓喜する京都国際の選手たち(撮影・前田充)
  • 京都国際対関東第一 閉会式を終え、甲子園球場の土を集める京都国際の選手たち(撮影・前田充)
  • 京都国際対関東第一 初優勝した京都国際ナインは表彰式で整列する(撮影・上山淳一)
  • 京都国際対関東第一 初優勝を決め、校歌を歌う京都国際(撮影・足立雅史)
  • 京都国際対関東第一 関東第一に勝利し初優勝を決めた京都国際ナインは歓喜の輪を作る(撮影・上山淳一)
  • 京都国際対関東第一 関東第一を破って優勝し、歓喜する京都国際の選手たち(撮影・前田充)
  • 京都国際対関東第一 初優勝した京都国際・藤本主将は優勝旗を受け取る(撮影・上田博志)

<全国高校野球選手権:京都国際2-1関東第一>◇23日◇決勝

京都国際が死闘を制し、春夏通じて初の全国制覇を成し遂げた。京都府勢では1956年(昭31)の平安(現龍谷大平安)以来68年ぶりの快挙だ。決勝では初のタイブレークで、関東第一(東東京)の猛攻をしのいだ。昨秋の新チーム発足時から公式戦0本塁打で日本一を達成。今春センバツ初戦で青森山田に敗れてから公式戦19連勝を飾り、開場100周年の甲子園で有終の美を飾った。

   ◇   ◇   ◇

京都国際と小牧憲継監督(41)の出会いは、京都成章1年時の夏だった。野球部が創部された99年夏の初戦で対戦し、34-0で圧勝。「低いところから上に登ってみたい」。前監督がPL学園(大阪)出身で「PLファン」という指揮官が指導法に興味を示し、関大進学後から京都韓国学園(当時)の指導が始まった。

06年に大学卒業し、滋賀銀行に就職後も週末コーチとして通った。その後、熱烈オファーを受け「やると決めたらやらないと気が済まない」と同年12月上旬のボーナスを受け取る直前の11月末を持って銀行を退職。教員免許を取得していたことから、翌07年4月に社会科教諭として採用され、正式にコーチに就任。08年春から監督に就いた。

個人練習に多くの時間を割く指導法で、16年間で11人のプロ野球選手を輩出した。原点は中学時代。出身の京都洛南ボーイズの監督が中日などで活躍した梅田邦三氏(77)で「うまくならな上でやっていけへん」という言葉が刺さった。根底にあるのは「1人でも長く上の世界で野球を続けて、活躍してほしい。野球に携わって、野球に恩返ししてほしい」という思いだ。

61人の野球部員を束ねる指揮官は、7人家族の大黒柱でもある。学校に隣接する寮で、弥生夫人と小学3年の長男と5歳の4つ子と暮らす。多忙で会えない日々が多いが「たまに子どもの顔を見る時と遊ぶ時が唯一の息抜きです」と笑う。

「強い京都を取り戻す。全国で一番レベルの高い地区にしたい」。有言実行を果たし、京都勢68年ぶりの日本一を奪還した。「京都の学校が切磋琢磨(せっさたくま)して、もっとレベルを上げていきたい」。野望は尽きない。【古財稜明】

◆京都国際 前身は1947年(昭22)開校の京都朝鮮中。京都韓国学園時代の99年に創部の野球部は、初の外国人学校硬式チームとして日本高野連に加盟。2004年に日本の教育課程を学ぶ私立校として現校名に変更された。男女共学。生徒数138人(野球部員61人)。甲子園出場は今回で夏3度目(春は2度)。22年春は新型コロナウイルスの集団感染のため、開幕前日に出場を辞退した。主なOBは森下瑠大(DeNA)中川勇斗(阪神)曽根海成(広島)ら。学校所在地は、京都市東山区今熊野本多山町1。白承桓校長。

【甲子園】京都国際が初優勝 決勝史上初のタイブレークで関東第一破る/詳細