【甲子園】京都国際・小牧憲継監督は大黒柱 野球部員61人&夫人と長男と5歳4つ子の7人家族
<全国高校野球選手権:京都国際2-1関東第一>◇23日◇決勝
京都国際が死闘を制し、春夏通じて初の全国制覇を成し遂げた。京都府勢では1956年(昭31)の平安(現龍谷大平安)以来68年ぶりの快挙だ。決勝では初のタイブレークで、関東第一(東東京)の猛攻をしのいだ。昨秋の新チーム発足時から公式戦0本塁打で日本一を達成。今春センバツ初戦で青森山田に敗れてから公式戦19連勝を飾り、開場100周年の甲子園で有終の美を飾った。
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京都国際と小牧憲継監督(41)の出会いは、京都成章1年時の夏だった。野球部が創部された99年夏の初戦で対戦し、34-0で圧勝。「低いところから上に登ってみたい」。前監督がPL学園(大阪)出身で「PLファン」という指揮官が指導法に興味を示し、関大進学後から京都韓国学園(当時)の指導が始まった。
06年に大学卒業し、滋賀銀行に就職後も週末コーチとして通った。その後、熱烈オファーを受け「やると決めたらやらないと気が済まない」と同年12月上旬のボーナスを受け取る直前の11月末を持って銀行を退職。教員免許を取得していたことから、翌07年4月に社会科教諭として採用され、正式にコーチに就任。08年春から監督に就いた。
個人練習に多くの時間を割く指導法で、16年間で11人のプロ野球選手を輩出した。原点は中学時代。出身の京都洛南ボーイズの監督が中日などで活躍した梅田邦三氏(77)で「うまくならな上でやっていけへん」という言葉が刺さった。根底にあるのは「1人でも長く上の世界で野球を続けて、活躍してほしい。野球に携わって、野球に恩返ししてほしい」という思いだ。
61人の野球部員を束ねる指揮官は、7人家族の大黒柱でもある。学校に隣接する寮で、弥生夫人と小学3年の長男と5歳の4つ子と暮らす。多忙で会えない日々が多いが「たまに子どもの顔を見る時と遊ぶ時が唯一の息抜きです」と笑う。
「強い京都を取り戻す。全国で一番レベルの高い地区にしたい」。有言実行を果たし、京都勢68年ぶりの日本一を奪還した。「京都の学校が切磋琢磨(せっさたくま)して、もっとレベルを上げていきたい」。野望は尽きない。【古財稜明】
◆京都国際 前身は1947年(昭22)開校の京都朝鮮中。京都韓国学園時代の99年に創部の野球部は、初の外国人学校硬式チームとして日本高野連に加盟。2004年に日本の教育課程を学ぶ私立校として現校名に変更された。男女共学。生徒数138人(野球部員61人)。甲子園出場は今回で夏3度目(春は2度)。22年春は新型コロナウイルスの集団感染のため、開幕前日に出場を辞退した。主なOBは森下瑠大(DeNA)中川勇斗(阪神)曽根海成(広島)ら。学校所在地は、京都市東山区今熊野本多山町1。白承桓校長。
【甲子園】京都国際が初優勝 決勝史上初のタイブレークで関東第一破る/詳細