胴上げのマウンドを託されたのは当然、エース津森だった。この6日間で4度目の登板にも疲れを見せず、8回は7番赤木陸哉外野手(3年=作新学院)をこの日最速145キロの直球で空振り三振に。9回先頭に初安打を許すも続く打者を遊ゴロ併殺に仕留め、終盤3回を9人で料理。ウイニングボールの二邪飛を見届けると、「(胴上げ投手は)初めての経験。ここを目指してみんなでやってきた。やっと監督を男にできました」と歓喜の輪の真ん中に収まった。
今大会は全試合で、最終回を締めた。大塚光二監督(50)は「最後は津森と決めていた。うちのエースですから」と、全幅の信頼で送り出した。球の出どころが見にくい右サイドで、しかも常時140キロ台を誇る速球派。差し込まれる打者が多く、今大会は18回2/3を6安打15奪三振。唯一の失点は延長10回を完投した準々決勝(白鴎大戦)で、自らの悪送球によるもの。「勝つことしか頭になかった。何が何でも勝つという強い気持ちで、肘の張りとかも考えず、思いっきり投げました」。MVPが吉田隼外野手(4年=国士舘)と発表された瞬間は苦笑いしたほど、自らも納得のパフォーマンスで優勝へとけん引した。
3月29日に右手中指を剥離骨折し、負傷の際に爪も全損した。まだ爪は半分ほどしか伸びていないが、塗り薬と栄養補助のサプリメントで回復に努めた。5月5日から戦列復帰したリーグ戦は本調子でなかったが、「力になれなかった分、全国ではみんなに力を貸したかった」と、登板を重ねるたびに復調。この日もバッテリー交換で津森と組んだ笹谷拓海捕手(3年=花咲徳栄)は、「魅力的な真っすぐがある。それを生かすため、直球一本で押し切るリードを考えた」と強気に良さを引き出した。
喜びもほどほどに、津森は22日から神奈川・平塚で行われる大学日本代表の選考合宿に参加する。昨年は日米大学野球のメンバーに入り、米国遠征を経験。今年は全日本V投手の実績を引っ提げ、「持っているものをすべて出して、もう1回(メンバーに)入りたい」と、日の丸ユニホームでもエースの座に挑む。【中島正好】