マサカリ男・村田兆治の在りし日を思い出す…ちょっと離島にわたってみようか/寺尾で候

  • 13年 「国土交通大臣杯 第6回全国離島交流中学生野球大会」の野球教室で「本物を見せる」と全力で投げ込む村田兆治さん
  • 1990年、沈痛な表情で任意引退を表明するロッテ・村田兆治。左は村田淑子夫人
  • 1990年9月1日付けの日刊スポーツ紙面

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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年末になると防火・防犯運動で、アスリートの「1日警察消防署長」などの取材が回ってくる。そこで思い起こしたのは、ロッテ一筋の名投手、村田兆治の非業の死だった。

22年11月11日、東京・成城の自宅で火災に巻き込まれた。成城署によると、部屋着姿の本人が2階で床に座った状態で発見された。直接的な死因は一酸化中毒死だった。

球界を代表するピッチャーの衝撃的なニュースはすぐに伝わった。しかも約2カ月前に暴行行為を働いたことで事件になっていたから臆測が飛び交った。

9月23日、羽田空港の保安検査場で村田が所持したスマートフォンが引っかかった。そこで女性検査員といざこざになって、それが暴力行為を働いたとして逮捕された。

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