【1を無限大に】1を超えたとき、そこに新しさが生まれる。いつかそうなると信じて作る
読み返して、
酷い文章だよこれはと思っていたら、
最近自己紹介をしていなかったことを
思い出しました。
改めまして乃木坂46、4期生の林瑠奈です。
【1を無限大に】
「もう新しいものってないじゃないですか。それなら古き良きものから新しさを見つけないと」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
(映画「HAPPYEND」より)
先日見た「HAPPYEND」という映画で、
主人公のユウタという高校3年生の男の子と、先輩バイトの中年女性が
こんな風なことを話していた。
確かに新しいものって
もう生まれないよなと思う。
それは私がユウタと同じ若い世代だから
そう思うのか、
それとも歳を重ねてもそうなのか、
10代後半という一定の年齢が
境になっているのかはわからない。
わからないけれど、
新しいものはなかなか生まれない、
それはわかるのだ。
新しいもの、
革新的で斬新で
誰も目にしたことがないようなもの。
創作活動においては、
0から1を生み出すことに意味があると、
つい頭を働かせてしまいがちだが、
やはり0から1を生み出すなんて所業は
かなりの難易度である。
それは、もう0から1の
「1」に値するアイデアや作品が、
世の中に出きってしまっているって事。
そして、その状況であることを
私たちが認識しすぎている事。
世に出てくるものすべてに対して、
過去への踏襲やエッセンスを感じ取ってしまう。
「1」を感知する能力が
さえてしまっていることで、
作者に意図がなくても、
既存のものに
カテゴライズしがちな実態があると思う。
だからこそ、今の時代は
1をどれだけ飛躍させられるかが
求められているのではないだろうか。
革新的なアイデアや意外性のある発想は
守り抜かねばならないほど
大切なものであるし、
1を生み出すことへかける情熱にも
大きな価値がある。
ただ、ユウタが言うように
新しいものって限りなく少ない。
それなら過去のどこを踏襲して
良いものを作るか、
どれだけ消費者に
新しいものであると思わせられるか、
そこが力の見せどころになってきている。
0を1にすることが
どれだけ難しいことかは承知の上で、
1を1000に、10000にするフェーズに
入っていくのだと思う。
すべての事象を細分化していけば
必ず1にたどり着く。
その先の0まで分解できるものはごくわずか。
先ほども書いたように、
作者や本人に意図が無くても
消費者は深読みするいきもの。
読みが外れて、
作者の意図と異なる解釈をされることも
少なくないはず。
それだけ世の中
1があふれているということでもあるし、
時間や踏襲という段階を重ねて、
0から1になったものが
抽象化しつつあるのだろう。
1が鮮明さを失い概念と化していくことは、
私たちの生活に溶け込むということだ。
自分の感性や経験を出力した結果、
1という概念が
知らず知らずのうちに
自分の作品の一部となり、形成される。
でもそれは
見ている側にはわからないことであるし、
本人であっても、
無意識下で起きていたならば
突き止めることはできない。
0から1は難しいから1を無限大にしよう。
そもそもこんなことは
ずっと前から言われていたことだと思う。
ただ、ユウタの言った
「もう新しいものはない」が
諦めから出た言葉ではないのだとしたら、
1は私たちが思う以上に可能性を秘めている。
1を飛躍させる行為を繰り返し、
1が概念ですら無くなったとき、
1から生まれた無限が、1を超える。
そこに新しさが生まれる。
いつかそうなると信じて作る。
(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)
私は自己評価にとらわれすぎている気がする 私の中には他人のような目を向けてくる自分がいる
【1を無限大に】1を超えたとき、そこに新しさが生まれる。いつかそうなると信じて作る
逆張りとカウンターの違い 反抗がダサいという、否定への否定が始まってるのかもしれません
◆林瑠奈(はやし・るな) 2003年(平15)10月2日、兵庫県生まれ。神奈川県出身。20年2月に乃木坂46に加入。4期生。163センチ。血液型O。
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