ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ~

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くいだおれ太郎の巨大立体看板に“先代看板”がいた!?

くいだおれ太郎の全長6メートルの立体看板誕生へ-。先日、日本中を駆け巡った? 大阪・道頓堀の名物看板人形「くいだおれ太郎」の“巨大看板計画”。道頓堀は、かに道楽の電動式「巨大カニ看板」など立体看板の激戦区ですが、これで太郎も晴れて仲間入り? と思いきや、実は“先代看板”がすでに、でした。

写真<1>、1974年(昭49)当時の食堂「くいだおれ」のネオンサイン、「大阪名物 くいだおれ」の看板の横に先代の「太郎看板」
写真<1>、1974年(昭49)当時の食堂「くいだおれ」のネオンサイン、「大阪名物 くいだおれ」の看板の横に先代の「太郎看板」

「大阪名物くいだおれ」の大きな看板の横、くの文字が入っている丸看板の上にちょこんと立ち、太鼓をたたくポーズをとるくいだおれ太郎(ちょっと見えずらいですが…)。この「太郎看板」が先代です。

芝居小屋街・道頓堀に戦後間もない1949年(昭24)、家族で楽しめる食堂「くいだおれ」が開店。当時の店は木造2階建て。看板人形「くいだおれ太郎」は1950年(昭25)から、店先に派手な衣装を着て登場しました。

くいだおれ専務取締役の柿木央久(てるひさ)氏によると「確か昭和38年ごろ、それまでの木造2階立ての店舗をコンクリートのビルに建て替えました。そのときに新たにネオンがともる看板を取り付けたようです」。太郎は店頭で太鼓をたたき、ネオンがともる「太郎看板」は空中で「3本のバチを点灯させていました」と柿木さん。

08年7月、太郎は「くいだおれ」の閉店。

08年7月、食堂「くいだおれ」の閉店当時の様子。丸看板のくいだおれのネオンサイン
08年7月、食堂「くいだおれ」の閉店当時の様子。丸看板のくいだおれのネオンサイン

太郎はタレントへ転身するとともに「自分探しの旅」へ。09年に旅から帰り、新職場となる道頓堀の商業施設「中座くいだおれビル」に転居した上で「住み込み」の看板人形として、太鼓をたたき続けてきました。

一方で「太郎看板」はそのままでしたが、閉店とともにネオンをともすことはなくなったそうです。

柿木さんは「老朽化のため17年に看板もくいだおれの丸いネオンも取り外した」といいます。

来春に全面改装して開業する「中座くいだおれビル」には全長6メートルのくいだおれ太郎が身を乗り出すような格好で外壁に設置されます。

「中座くいだおれビル」の全面リニューアル後の大阪・道頓堀の名物看板人形「くいだおれ太郎」の立体看板イメージ
「中座くいだおれビル」の全面リニューアル後の大阪・道頓堀の名物看板人形「くいだおれ太郎」の立体看板イメージ

ネオン管をモチーフにした発光ダイオード(LED)ビジョン、電飾で覆います。“先代看板”よりも、巨大で鮮やになりそうです。

新装されるビルでは、くいだおれ太郎はこれまでと同様、1階入り口で太鼓をたたきます。太郎の上には“相棒”の「太郎看板」が“復活”します。

柿木さんは「上にある看板は太郎がここにおるよという思いが込められています」。先代の「太郎看板」はあまり知られていなかった? ようですが、今回はド派手です。

リニューアル期間、太郎は「75歳」にして人生初めての長期バカンスに出かけていますが、“相棒復活”に太郎は「わて、楽しみにしてますねん」-。

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

 ◆村上久美子(むらかみ・くみこ) 大阪(泉州)生まれ。91年入社。関西の芸能社会を中心に取材。吉本興業、宝塚歌劇、短期間ながら阪神タイガースと、関西発の3大ホットコーナーをはじめ、NMB48まで、取材歴は20年以上。

 ◆松浦隆司(まつうら・たかし) 大阪生まれ。92年入社。関西を中心にスポーツ紙の社会面担当としてエロから政治まで、ダークサイドも含め取材歴は20年以上。和歌山毒物カレー事件、橋下徹前大阪市長は茶髪弁護士時代から取材。

 ◆三宅敏(みやけ・さとし) 大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。11年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、22年から記者として復帰。演芸(お笑い)を中心に取材。好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。

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