パティシエ鎧塚俊彦氏「料理業界の発展のために大きな役割を果たした」服部幸應氏を悼む

  • 服部幸應さんとの思い出を語る鎧塚俊彦氏(撮影・垰建太)
  • 参列後、取材に応じる鎧塚俊彦氏(撮影・江口和貴)
  • 参列後、取材に応じる鎧塚俊彦氏(撮影・江口和貴)
  • 祭壇に飾られる服部幸應さんの遺影(撮影・江口和貴)
  • 服部幸應さんの祭壇(撮影・垰建太)
  • 服部幸應さんをしのぶ服部栄養専門学校・服部家合同葬の看板(撮影・江口和貴)

10月4日に急性心不全のため78歳で亡くなった、料理評論家で服部栄養専門学校校長の服部幸應さん(本名・染谷幸彦=そめや・ゆきひこ=さん)の葬儀が13日、東京都港区の増上寺で営まれた。

パティシエで「Toshi Yoroizuka」オーナーシェフの鎧塚俊彦氏(59)は参列後、悲しみをこらえながら会見に応じた。「料理業界の発展のために大きな役割を果たした。料理人がテレビに出ることに一部の人からは批判的な意見もありましたが、一般の方にも分かりやすく伝えて大きな現象となりました。メディアに出るという道を切り開いたと思っております」と、功績の偉大さを強調した。

服部さんとは、鎧塚氏が欧州から帰国して以来、約20年の付き合いがある。女優だった川島なお美さん(故人)と2009年(平21)に挙げた結婚式にも参列してもらったという。

亡くなる4日前、食の発展をどう引き継ぐか定期的に話し合う会合で顔を合わせ、服部さんの議長を務めた。「声が出ず、足腰も衰えている以外は元気そうでした。まさかという思いでした」と話した。

よく「これからは君たちの時代だから」と面倒を見てもらった熱意が一番の思い出だ。「向こうでおいしいものをいただいてください。先生の切り開いた道を先へと進めていきたい」とねぎらうとともに、料理界のさらなる発展を誓っていた。