羽根田がカヌー銅 スロバキアで磨いた感覚生きた

 日本カヌー界、悲願の初メダルだ!

 スラローム男子カナディアンシングルで羽根田卓也(29=ミキハウス)が、決勝で97・44点をマーク。スタートからゴールまでのタイムは7番目だったが、旗門接触減点を0に抑え、世界に誇る正確な漕艇技術で、銅メダルを獲得した。カヌー・スラロームでは、男女を通じて、アジア人初のメダル獲得の快挙となった。

 羽根田の瞳が潤んだ。おえつが漏れる。両手で顔を覆うと、肩が震えた。「メダルなんて誰も想像していなかったと思う。でも僕はずっと世界一になりたいと思ってきた」。18歳で本場スロバキアに単身留学。言葉も分からない中、武者修行をした苦労が報われた。

 準決勝はトップと3・21点差の6位で通過。これでは表彰台は無理と、決勝では「のるかそるかの勝負」に出た。速度を出せば艇のコントロールが難しい。コントロールすれば速度が落ちる。そのバランスをとって、攻めた。

 コースの終盤に激流に艇が取られ、タイムは思ったほどは伸びなかった。しかし、接触をせずに旗門を完全通過。ロンドン五輪銀メダルのタジアディスらトップ選手が旗門接触を犯す中、減点をゼロに抑えたことがメダルにつながった。

 毎朝、ポンプから送り出される水の流れをチェックする。レースごとに流れが変わるからだ。勢い、方向、強さなどを頭にたたき込み、艇のコントロールを、流水のラインに合わせる。天才的な感覚は、留学したスロバキアで磨いた。

 中学3年の夏が転機だった。ジュニア代表チームで欧州遠征。そこで本場のレベルに触れた。愛知・杜若(とじゃく)高卒業前に、父邦彦さんに留学を直訴。「いつか必ず首にメダルをかけるから」と、手紙に決意を書き込んだ。その約束を見事に果たした。

 ロンドン五輪後にミキハウスの所属になるまでは、年間約500万円の活動費は、ほとんど自費だった。カヌーだけでなく、スロバキアのコメニウス大大学院で体育学を学ぶ。1、2年前に、母校に「化学と保健体育の教科書を送ってくれ」と依頼があったという。カヌーと勉学に格闘した数年だった。

 リオ五輪前に、タレントのマツコ・デラックスからイケメン選手として“ラブコール”を送られた。銅メダル獲得で、キムタクならぬハネタクという愛称も誕生。「人生をかけてやっている」というマイナー競技の苦労人が、強い信念で獲得したメダルが、日本カヌー界80年の歴史を動かした。

 <羽田拓也(はねだ・たくや)アラカルト>

 ▼誕生

 1987年(昭62)7月17日、愛知県豊田市生まれ。

 ▼きっかけ

 小3の夏、元カヌー選手の父邦彦さんに勧められ矢作川で鍛錬。「水は冷たい、溺れるし嫌々」。中3の夏、ジュニア世界選手権で42位と惨敗し「人生をかけるに値する」と専心。杜若高時代は朝6時起きで朝練に励む。

 ▼修行

 高校卒業後の06年3月から「自分を変えるために」とカヌー強国スロバキアで武者修行。09年から地元のコメニウス大(体育大)に通い大学院在籍。

 ▼頭角

 14年世界選手権5位、アジア大会金。「繊細な技術が求められ自分向き」と言う五輪コースで開催された昨年のテスト大会で2位、今年6月18日のW杯第3戦でスラローム日本勢初の表彰台(3位)。

 ▼趣味

 歴史小説を読むこと。子供の頃もお経を読んだり仏の絵画を見るのが好きだった。好きな歴史上人物である宮本武蔵の「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」を座右の銘にする。

 ▼五輪

 08年北京大会は14位、12年ロンドン大会は7位入賞。

 ▼家族

 豊田市内で設計事務所を開く日本カヌー連盟理事の父邦彦さん(57)と母ひとみさん。兄弟は兄翔太郎さん(31)弟和隆さん(28)の5人家族。

 ◆カヌー

 直線コースで争うスプリントと、急流に設置された関門をくぐり抜けながらタイムを換算したポイントを競うスラロームがある。パドルに水かきが1枚のカナディアンと、両端に2枚付いたカヤックがある。08年北京大会スラローム女子カヤックシングルで4位の竹下百合子が日本の過去最高成績。五輪では1936年ベルリン大会から実施。今大会は男女計16種目。日本勢はスラローム全4種目に出場するが、スプリントは初めて出た64年東京大会以来、初めて出場権を逃した。

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