- 男子100メートルの表彰式で金メダルを手にするボルト(右)と2位のガトリン(共同)
陸上男子100メートルの表彰式で、銀メダルのジャスティン・ガトリン(米国)が観客にブーイングを浴びせられた。功績に敬意を表してたたえる儀式の場で、こんな現象は見たことがない。一転の大歓声で金メダルを首にかけるウサイン・ボルト(ジャマイカ)の姿を見て、私は怖くなった。もし順位が逆だったら、どんな殺伐とした空気になっただろう。
ガトリンには2度のドーピング違反の過去があった。しかし、資格停止処分が明けて6年。検査で薬物は検出されていない。それでも彼は、リオでレースに出場するたびにブーイングを浴びた。1度でも薬に手を染めた選手に、観客は嫌悪感を示したのである。ドーピングの傷の深さを、ガトリンも他の選手たちも思い知ったに違いない。
このリオの会場の反応は予想していた。開幕前、ロシアの国ぐるみの薬物違反偽装が発覚し、大スキャンダルになった。だが、国際オリンピック委員会(IOC)がロシアの一部選手に出場の道を残したことで、リオに疑心暗鬼の空気が広がった。競泳会場は女子平泳ぎで2つの銀メダルを獲得したユリア・エフィモア(ロシア)が登場するたびにブーイングに包まれた。
五輪精神に反するこの観戦マナーを、私は支持できない。だが一方で、観客の断固たる意思表示が、ドーピングの最も効果的な抑止力になりうることを実感した。人々に称賛され、尊敬されるからこそ、メダルは輝き、未来にも光が差す。尊厳のない金メダルなどただの金メッキの置物にすぎないのだ。ドーピングの影はメダルの光さえ一瞬にして消してしまう。それをリオ五輪は教えてくれた。
いつの時代も潮流を変えるのは人々の魂のうねりだ。あのベトナム反戦運動もそうだった。戦争が長期化、泥沼化するにつれて、運動は米国から世界中に広がった。その人々の厭戦(えんせん)意識の連帯が、米国政府に政策を転換させたとも言える。私には五輪の平和を踏みにじるドーピングと戦争の言葉が重なる。
もう検査機関やIOCだけに委ねていてはいけないのだ。スポーツを愛する私たちがみんなで手をつなぎ、反ドーピングのデモを世界中のスポーツの場に広げていく。それがきっと、愚かないたちごっこを終わらせる、最も大きな力になるはずだ。【首藤正徳】