- 04年8月18日付東京最終版
<リオ五輪:体操>◇8日◇男子団体決勝
五輪で流れる君が代は、いつも感動的だ。表彰台の中央で涙する選手、笑顔をはじけさせる選手、亡き母の遺影を胸に聞き入る選手もいた。体操男子団体総合、3大会ぶりの金メダルにチームメートと大合唱する内村の姿も、五輪の名シーンとして語り継がれるだろう。
04年アテネ大会の冨田洋之「栄光への架け橋」、72年ミュンヘン大会の塚原光男「月面宙返り」、体操団体の金メダルは、常に鉄棒で決まった。予選(96年大会までは規定)1位だと、鉄棒が最後になるローテーションだったからだ。
内村も、それを意識していた。最終演技者として鉄棒の着地をピタリと決め、世界に「ドヤ顔」を披露する。大会前には「最後が鉄棒でなければ、金メダルとっても締まらない」とまで話していた。目指したのは「アテネ超え」だった。
アテネの金メダルが、日本中を沸かせたのを知っている。ゆずの歌う「栄光の架橋」とNHK刈屋アナの名実況は、体操を普段見ない人にも知れ渡った。流行語大賞にもノミネートされた。だからこそ「体操を知らない人たちに、もっと知って欲しい」と、アテネを超える感動を目指した。
この日の体操団体総合まで、日本は夏季五輪で133個の金メダルを獲得している。冬季を含めると143個になる。それぞれに感動があった。「栄光への架け橋」など実況、「バサロ泳法」など逆転劇、「チョー気持ちいい」など選手の名言、山下泰裕、古賀稔彦らケガをおして手にした栄光…。そのすべてに、感動を呼ぶドラマがある。
内村の思惑は外れ。予選4位で最終種目は床運動になった。最終的に圧勝になっただけに「どこで感動していいか難しい」金メダルだった。それでも、獲得した選手たちにとってメダルの価値が変わるわけではない。2大会連続銀メダルに終わり、それでも挑戦を続けてきたドラマがある。それも十分に感動的だ。
アテネの金は残念ながら単発だった。しかし、若手が成長している今の体操界なら、かつて五輪で団体5連覇した「体操ニッポン」が完全復活する可能性も十分にある。競技人口も増えて、体操人気がもっと定着するかもしれない。そうなれば、リオの金がターニングポイントとして長く語り継がれることになる。一瞬の感動もあれば、歴史に長く続く感動もある。今後の選手の頑張り次第で「アテネ超え」の可能性は、まだまだ残されている。【荻島弘一】