白井団体金「いい意味でいい加減に」東京で連覇導く
体操界のホープ、白井健三(19=日体大)が内村との「約束」を果たした。子どもの頃に内村の「一緒に五輪に行こう」の言葉で技を磨いてきた白井は、初出場の五輪で素晴らしい演技を披露。跳馬で逆転劇の足場を作り、最終種目の床運動では世界王者らしい演技をみせてチームの勝利に貢献した。日本体操最年少で五輪の頂点に立ち、競泳以外では日本初の10代金メダリストになった。
ロシアの得点が確定して金メダルが決まると、白井は跳び上がり、内村と抱き合って喜びを爆発させた。「人生で一番心臓に悪い日だったけれど、間違いなく一番幸せでした」。初めて出場した五輪で手にした金メダル。「北京、ロンドンと負けた大会を見てきて、勝ったチームに自分がいるのがうれしい」。飛びきりの笑顔で振り返った。
トップで迎えた最後の床運動。予選ではラインオーバーのミスをしていた。森泉コーチから「反省練習をしてこい」と肩をたたかれて立った。軸のぶれない安定したひねり。着地も決め続けた。16・133と高得点をマークし、次の加藤につなげた。「予選は元気よすぎたので、いい意味でいいかげんにやりました」と、強心臓で言ってのけた。
昨年の世界選手権床運動で2度目のチャンピオンになった。それでも「団体優勝に貢献することだけを考える」と言い続けてきた。内村同様、日体大に入学してから団体の大切さに気がついた。「唯一の学生としてチームを盛り上げる」と誓い、リオ入り後の練習でもチームメートの演技に手をたたき、声を出した。個人で練習を積む他国の選手と比べ、日本は「チーム」をアピールしていた。
内村とは約束があった。日体大の体操教室「日体スワロークラブ」で練習していた小学6年の時、そのひねりを見ていた当時日体大2年の内村から声をかけられた。「いつか一緒に五輪に行こう」。ところが、しばらく練習を見ていた内村が再び言ったのは「やっぱり無理だな」と。基礎の反復練習を嫌っていたことを、内村が見抜いていた。北京五輪個人総合銀メダリストの言葉はショックだった。父勝晃さん(56)は「それからですね。基礎練習もしっかりやるようになったのは。内村くんの一言が健三を変えた」と話した。
成長した白井は床運動と跳馬という絶対的な武器を手にして、日本代表には不可欠な存在になった。不利と思われた最終種目が床運動になっても「最後が床でよかった」と言ってのけた。19歳の金メダル獲得は競泳を除けば過去最年少。まだまだ未来がある。「すごくいい経験ができた。今後に生かしていきたい」。20年東京五輪、さらにその先へと、白井はひねり続ける。【荻島弘一】