王国が帰ってきた!ネイマール金「人生で最も幸せ」
「マラカナンの歓喜」に王国が沸いた。サッカー男子決勝でブラジルが1-1からのPK戦でドイツを5-4で破って初優勝した。オーバーエージ(OA)枠のFWネイマール主将(24=バルセロナ)が先制の直接FKを決め、PK戦では相手の5人目が失敗した直後に成功させた。過去の五輪で銀メダル3度、銅メダル2度の開催国が悲願の金メダルを獲得。14年W杯ブラジル大会で1-7で惨敗したドイツに借りを返し、復権を印象づけた。
カナリア色の聖地が沸騰した。決めれば金メダルのPK戦、後攻5人目。ここで登場したネイマールは、GKの逆を突いてゴール右上に蹴り込むと、ひざまずき、天を仰ぎ、ピッチに突っ伏した。6万超の国民が我を忘れ叫ぶ中、悲願を遂げた立役者が起き上がれない。「言葉が見つからない。人生で最も幸せだ。神様、家族、仲間に感謝したい」と感涙で体が波打った。
「悲劇」の2文字がこびりついたマラカナン競技場が、66年の時をへて「歓喜」に洗い流された。W杯で最多の優勝5度を誇る王国が唯一、持っていなかった金メダルを、ついに手に入れた。表彰式では思いっきり、かんでみた。笑った。夢じゃない。13度目の出場で銀メダル3、銅メダル2だった母国の歴史を、4度目の決勝戦で塗り替えた。
孤高の歩みだった。大会前は深夜のパーティー通いを批判され「ピッチと私生活は別」と反論して火に油を注いだ。迎えた1次リーグは2戦連続の0-0。ファンはレプリカユニホームの「ネイマール」に二重線を引き、同国女子の英雄「マルタ」の名を書き足して抗議。元日本代表監督ジーコ氏からは「主将にふさわしくない」と酷評された。
評価を覆すには結果を出すしかない。それも金メダル。前半26分に世界クラスの先制FKを決めると、叫びながらベンチに走った。「エオ・エスト・アキー(俺は、ここにいる)」。絶対に見返す。野心を原動力に頂点へ導き「批判にはサッカーで返事をした。評論家は前言撤回してくれ」と不敵に笑った。表彰式の後は観客席の恋人ブルーナさんの元へ一直線。「約束していた。メダルは特別な人に届けるものだ」と奔放なスタンスも崩さなかった。
低迷する王国の復権へ「この金メダルが、どれほど大きな意味を持つか分かっていた」。12年ロンドン五輪で銀メダルに泣いた後、14年W杯ブラジル大会は準決勝でドイツに1-7の歴史的惨敗。ネイマールは準々決勝コロンビア戦でスニガに“膝蹴り”されて腰椎を骨折し「ミネイランの惨劇」は安静先で途中まで見てテレビを消した。街では略奪や放火が起きていた。OA枠で五輪に出るため辞退した、今年の南米選手権は29年ぶりの1次リーグ敗退。引き裂かれたセレソン(代表)のプライドを23歳以下の後輩と取り戻した。
準決勝で五輪史上最速の開始15秒弾を決めるなど、決勝トーナメントで3戦4発。ドイツに借りを返すフィナーレが痛快だった。「王国が帰ってきた」の大合唱が、国民にも誇りをよみがえらせる。政情不安、犯罪多発、ジカ熱-。大会前の不安を金色の輝きで吹き飛ばし、南米初の五輪は大団円を迎えた。【木下淳】
◆ブラジル五輪代表の背番号10
出場資格が23歳以下となった92年バルセロナ以降では、96年アトランタで、のちにバルセロナに移籍したOA枠のFWリバウドが背負った。00年シドニーは主将のMFアレックス。08年北京はOA枠で入った05年バロンドール獲得のロナウジーニョ、12年ロンドンは大会前にプレミアリーグ強豪のチェルシーへの移籍が決まったMFオスカルが付けた。