瀬戸銅メダルも萩野に敗北「自分はまだ器ではない」
競泳男子400メートル個人メドレーで瀬戸大也(22=JSS毛呂山)が、4分9秒71で銅メダルを獲得した。小学生時代から、金メダルを獲得した同学年の萩野の背中を追い続けた。前回ロンドン五輪は選考会直前にインフルエンザを患い落選。13、15年世界選手権は連覇し、金メダルを見据えてきた。金メダルをさらわれた萩野とは、また4年間競い合い、同種目では20年東京大会でのリベンジを狙う。
これも強くなる糧と思える。瀬戸は自己ベストを出した予選よりタイムを落として銅メダル。最初のバタフライで先行も、萩野に背泳ぎで逆転を許すと、得意の平泳ぎでも差をつめられない。ケイリシュにも抜かれ順位を下げた。「勝ちたかったが(萩野)公介と一緒にメダルが取れてうれしい」といつも通り、前を向いた。
小学3年のジュニアオリンピック(JO)で萩野と初対戦も、25メートル以上の大差をつけられた。雲の上の存在だったが、父幹也さんと母一美さんからは「強い子がいると、その代は絶対に強くなる。ラッキーな学年だよ」「萩ちゃん、速いね。でも最終的に勝てばいいよ。五輪で勝てば」と励まされた。中学2年のJOで初勝利。初の五輪は近づきつつあった。
12年4月、ロンドン五輪選考会を兼ねた日本選手権。3週間前からインフルエンザで40度の高熱が1週間下がらない。冬から培った筋肉がそげ落ちた。ポジティブ思考が家訓の瀬戸家。「大会1週間前に高熱が出なくて良かった」と悟し、本人も「いける」と言い聞かせたが、優勝の萩野に2秒以上離されての3位で、2枠の代表権を逃した。
萩野と並ぶ表彰式。ポジティブな瀬戸も「3位の表彰はいらないだろと。メダルを放り投げたくなった。あれは生き地獄で残酷だった」と振り返る。表彰式で号泣。梅原コーチから「(五輪に)行かせられなくてごめん」と言われると、作り笑顔をくしゃくしゃにしながら「そんなことないです」と涙を流した。
その後、一美さんから「あなたに解決できない問題は決して起きません」などと書かれた手紙をもらった。頭では理解しても抜け殻のような状況は続いたが、ライバルの快挙で再び心に火が付いた。ロンドン五輪で萩野が銅メダル。「公介に勝つとメダルが取れる。落ち込んでいる場合ではない」。世界大会では萩野に3連勝するなど、大一番での強さを発揮し、ライバルを突き上げた。
今年に入ると、埼玉県内の自宅トイレに「自信」と毛筆で書いた紙を貼り付けた。「自分を信じて戦う」との意味で、日々の練習を積み上げてきた。萩野には敗れたが「公介とケイリシュが大ベスト。自分は自己ベストを出してない。まだまだ金メダリストの器ではない」。素直に敗北を認めて、また強くなる。【田口潤】
◆瀬戸大也(せと・だいや)1994年(平6)5月24日、埼玉・入間郡生まれ。6歳の時に水泳を始め、個人メドレー、平泳ぎ、バタフライなどで活躍。埼玉栄高時代は高校総体では3年連続で個人メドレー2冠。高校3年だった12年ロンドン五輪は落選。13年4月から早大。13、15年世界選手権では男子400メートル個人メドレー金メダル。14年8月パンパシ、9月アジア大会200メートルバタフライ金メダル。家族は両親と妹。174センチ、73キロ。
◆前回のダブル表彰台
56年メルボルン五輪男子200メートル平泳ぎで古川勝が金、吉村昌弘が銀。6000ccの肺活量を誇る古川は、スタートから45メートルまで潜り続ける泳法を披露。2位に2秒の大差をつけた。日大で古川の1学年後輩だった吉村も、潜水泳法を用いてソ連のユニチェフに0・1秒差で競り勝った。この大会以降、潜水は禁止された。