リレー萩野組が銅「松田さんを手ぶらで帰さない」
競泳男子800メートルリレーで、日本が52年ぶりの快挙を実現した。萩野公介(21=東洋大)江原騎士(23=自衛隊)小堀勇気(22=ミズノ)松田丈志(32=セガサミー)の日本は7分3秒50で3位になり、この種目で64年東京大会の銅以来となるメダルを獲得した。エース萩野の突出した力と抜群のチームワーク、日本連盟の強化策がかみ合っての快挙達成。長く低迷していた自由形リレーが、20年東京大会では金メダル候補になった。
リレーメンバーの4人がそろって表彰台に立ち、つないだ手を掲げた。800メートルリレーでは64年東京大会以来の銅メダル。男子400メートル個人メドレー金に続き2個目のメダルとなった萩野は「4人の力を最大限に出した結果。最高に幸せです」と感慨深げに言った。今大会で第一線を退く松田も「これで本当の競泳大国といえる」と胸を張った。
第1泳者の萩野が米国に次ぐ2位につけた。後続が離れたことで、チームで最も小柄な江原は波の抵抗が少ない中で泳ぐ。順位を1つ落としたものの3位。第3泳者はきちょうめんで失敗の少ない小堀が2位に逆転。最終泳者ベテラン松田はラスト100メートルで英国に抜かれたが、メダル圏内を死守した。小堀が「神風が吹いた」と例えたように、5コースの米国から離れた2コースで波を受けにくかった運もプラスに働いた。
チームワークの勝利だ。5月から欧州遠征に出た萩野以外の3人は所属の枠を超えて一緒に合宿を積んだ。引き継ぎの練習はもちろん、3人で競い合うことで、練習も追い込んだ。LINE(ライン)で「8継(800メートルリレー)金」とのグループをつくり、欧州にいる萩野とも毎日、3人の現状を伝えた。メンバーを固定したり、リレーだけの合宿をする国は少ない。連係の深まりは大きなアドバンテージになった。
萩野は昨年右肘骨折で世界選手権を欠場。代役として江原が五輪代表枠の獲得に貢献。チームメートに恩返しする決意は強かった。江原は最後の五輪となる松田に「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」とロンドン大会の北島に例えた。ロンドン大会予選落ちの小堀は誰よりもメダルを欲した。1種目のみ出場の松田は、事実上の引退レースにすべてを懸けた。
戦前から戦後にかけて800メートルリレーは日本のお家芸だった。だが、近年は大型でパワーのある欧米勢に差をつけられ、五輪に出場すらできない時期もあった。危機感を募らせた日本水連は、04年アテネ大会後から自由形合宿を行うなど、低迷打破に取り組んだ。強化は実り始め、今大会では男子400メートルリレーも、68年メキシコ大会以来の決勝進出を果たした。
男子800メートルリレー担当の久世コーチが「日本人が自由形でも戦える。1歩踏み出した。東京五輪でもやれると、みんながそういう気持ちになる」と銅メダル効果を口にすれば、日本代表の平井監督も「東京五輪は金メダル狙いでいける」と言い切った。52年ぶりのメダルが、日本水泳界の転機になったことは間違いない。【田口潤】
◆男子800メートルリレー
競泳の花形で最古のリレー種目。五輪では1908年ロンドン大会から採用(400メートルメドレーリレーは60年、400メートルリレーは64年大会から)されている。1人のスターに頼れず、トップレベルの自由形選手が4人必要なことから「国の競泳力を表す」ともいわれる。「水泳ニッポン」の戦前戦後の五輪では表彰台の常連。その後低迷したが、2008年北京大会で44年ぶりに決勝進出(7位)を果たした。