【公営競技】命の危機を脱した原田篤志 母から大山千広に送られた手紙 涙もろい記者の泣ける話

<公営担当・神田成史>

競輪、ボートと20年を超える取材の中で選手の言葉に思わず涙してしまうことがある。

9月25日のG1徳山周年2日目5R。原田篤志が勝ったレース後に「ここに帰って来られて本当に良かった」と笑顔で話した言葉に泣いてしまった。

原田篤志
原田篤志

原田は8月の宮島で転覆事故に遭い、脳振とうで意識を失った。肺に水が入る溺水状態となり、2日間意識も戻らず生死をさまよった。それでも迅速に駆けつけた救助艇や、医師の的確な治療で生還。戻ってきた初戦が地元周年という大舞台。勝ったレースも先行した中沢和志を1周2Mで差して逆転する気持ちの入ったレースだった。

競輪取材で初めて泣いたのは、前検移動の運転中、交通事故で、同乗した先輩選手が亡くなった若手選手の話を聞いた時だ。罵声を覚悟した慰問の席で、夫を亡くした妻から「主人がかなわなかったS級を目指して」と逆に励まされた。その若手選手は2年後にS級昇格を果たした。

大山千広の養成所の話にも泣いた。厳しい訓練に「もうやめる」と電話で話した母博美さん(引退)がくれた手紙の内容を聞いた時だ。それまで自分がレーサーになることに反対も賛成もしてなかったのに、同じレースで同じ目標で親子で同じ夢を目指そう、と書かれていた。

大山千広
大山千広

涙は、恥ではない。ラグビー伏見工の名監督だった山口良治さんが教え子に贈った言葉だ。涙もろい記者は、これからも泣ける話を聞きにピットや検車場に立ち続ける。

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