【競輪】競輪は気持ち…猪子真実が生き抜いた11年 32歳で飛び込んだ世界で重ねた努力

ガールズ2期生(104期)の猪子真実(44=愛知)が、11年間の選手生活にピリオドを打った。

ラストランに向かう猪子真実
ラストランに向かう猪子真実

6月26日、ラストランの舞台となった地元豊橋には、現役、OB、OGも含めて50人以上の大応援団が集結した。

ラストランに訪れた大応援団
ラストランに訪れた大応援団
ラストラン開催をともに戦った仲間たち
ラストラン開催をともに戦った仲間たち

飾らない人柄とその美貌は、ファンだけでなく、選手仲間からの人気も高かった。

決してポテンシャルが高かったわけではない。「同期には石井寛子、山原さくら、梶田舞というスリートップがいた。私は32歳で競輪学校(現競輪選手養成所)に入り、体力的にもタイムの面でも常に下の方でした」。それでもコツコツ努力を重ね、年々レベルアップを続けるガールズケイリンの世界で11年間も生き抜いた。

もともと年下の友人が少なく、同年代や年上に囲まれる“妹キャラ”だった。だから、競輪学校時代のひと回りも年下の同期との共同生活は戸惑いの連続だった。「年上だからといって甘やかしてはくれない世界。きつくて長い1年でした。でも、同部屋が小坂知子と矢野光世だったことが救い。この3人部屋には癒やししかなかったんです」。周りの人に恵まれるのは、持って生まれた才能。これこそが、厳しい選手生活の支えとなった。

小坂知子(左)と矢野光世(右)は競輪学校でできた生涯の親友
小坂知子(左)と矢野光世(右)は競輪学校でできた生涯の親友

通算21勝の中で最も印象的な勝利がある。14年8月の京王閣。石井寛子のお膝元で、篠崎新純の先行を追い込み、予選初勝利を挙げた。「ここ、本当にゴールだよな、と一瞬疑いました(笑い)。その開催は決勝にも上がれて、同期の(石井)寛子、(三宅)愛梨と1、2、3着を独占したんです」。

怒ることが苦手で温厚な性格だが、意外にも実戦向きだった。「力の差があっても展開で勝てることもある。学校の訓練でも、デビューしてからも、そんなことが何度かあった。競輪は気持ち。負けたら悔しかったし、ちぎれるのが嫌だったから、これでも練習は一生懸命やっていたんですよ」。努力に勝る天才はいない。

最後まで負けると悔しかった
最後まで負けると悔しかった

内側から見てきたガールズケイリンの未来は明るいという。「最初は懐疑的だった男子選手も、女子のレベルが上がるにつれて認めてくれた。こんなに面白くて、ガチで戦えて、知れば知るほど魅力的なスポーツはない。もっともっとファンが増えてもいいですよね。これから自分にできることがあれば、競輪の仕事にも挑戦していきたい」。

今後については未定だが、オファーがあれば、競輪番組への出演やイベントなど、ガールズケイリンの普及にひと役買っていくつもりだ。【松井律】

年齢や期別の垣根を越えて友人が多かった
年齢や期別の垣根を越えて友人が多かった
最後の遠征となった函館での打ち上げ
最後の遠征となった函館での打ち上げ

◆猪子真実(いのこ・まみ) 日本競輪学校(現競輪選手養成所)104期生。13年5月デビュー。通算成績912走、1着21回、2着40回、3着73回。

おすすめ情報PR

ボート競輪オートニュースランキング