【競輪】山原さくら「結婚かってざわつかれてますけど」 山口支部移籍の真相/敢闘門の向こう側
ガールズトップ選手の山原さくら(31)が、10月17日付で高知支部から山口支部に電撃移籍する。父・利秀の背中を追って13年にデビュー。12年目にして、生まれ育った地を離れる決意をした心境を語った。
きっかけは、4年前にさかのぼる。20年9月に防府競輪の開催に出場。決勝では先行策に出るもゴール前で力尽きて4着に敗れた。
山原 人生でも一番、気持ちが落ちている時だった。決勝で確定板に上がれなくてやじられて…。ファンの気持ちに応えたい自分もあったが、まだ復帰したてで体的にもやり切れないところだったので。
19年11月に病気が発覚して半年の休養を余儀なくされると、復帰後は新型コロナウイルスが猛威をふるい世の中は一変していた。
山原 コロナ禍になって(当時の出稽古先だった)小倉にも行けなくなって…。でも、レース後に防府に居残りして練習させてもらったんです。このまま選手を続けるかも半信半疑だなと思ってて、人と練習するのも思い出作りのところもあったんです。
同い年で高校時代からの親友でもある田口梓乃(32=山口)と一緒にバンクで汗を流すと、気が付けば地元の高知と防府の2つの拠点でトレーニングを積む生活が始まった。
山原 防府のみなさんが受け入れてくれて、出稽古だけど本気で人と練習する楽しさもありました。後輩も増えてきて、自分のやってきたことを少しでも伝えられたらと思ったけど、そのためには自分も成績を残さないと説得力がない。そう思っていたら欲が出てきましたね。
山口支部はガールズ選手だけでも7人が在籍する大所帯に加え、清水裕友や桑原大志の新旧SS班をはじめ男子トップクラスの選手も在籍する。
山原 みんな優しくて、桑原さんや清水君にはG1で戦ってる人と同じ空気を吸わせてもらってありがたかった。極論すれば、命をつないでもらったと思う。
高いレベルでの研さんが実を結び、22年には6年ぶりにガールズグランプリに出場する。
山原 まさか、病気をした後にグランプリの舞台に戻れるとは思わなかった。結果は2着だったけど、私のキャリアハイ。防府に来てなかったら残せてない成績だし、ここは気持ちが落ちてたところから引き上げてもらった場所なんです。
今年は6月の岸和田G1パールカップ、7月松戸ガールズケイリンフェスティバルで決勝進出。賞金ランキング10位(10月10日現在)と、グランプリ出場の可能性も残っている。
山原 今年は前半戦が駄目駄目だったのに、この位置にいる。来年は本腰を入れてグランプリを狙いたい。今までは高知と防府を行ったり来たりしていたが。本格的に練習したくて籍を移す決断をしました。悩んだけど、自分の中で踏ん切りは付いた。やれるところまでやりたいし、私が結果を残すことで防府に恩返しできたらいいな。
不退転の決意で親元から旅立ち、これからは厳しい環境に身を置いて自転車に打ち込むことになる。最後に、これだけは絶対に伝えたいというコメントを載せておく。
山原 練習環境を求めての移籍です。SNSでは結婚かってざわつかれてますけど、まったく1ミリもありません(笑い)。
高知、山口だけにとどまらず全国の山原さくらファンは、これからも変わらない声援を送ってもらいたい。【中嶋聡史】