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日本代表 >> リオ五輪最終予選

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担当記者コラム

初の国際大会はイラクに敗れ8強止まり/第1回

<14年1月、U-22アジア選手権>

 13年まで6シーズンに渡ってJ1仙台を率いた手倉森誠監督(47=仙台)が、リオデジャネイロ五輪を目指すU-21(21歳以下)日本代表の監督に就任した。その初陣となった国際大会だ。年齢制限は22歳以下だったが、2年後に23歳以下で臨むリオ五輪アジア最終予選を見据え、21歳以下の23人で編成。FW鈴木(当時新潟→現水戸)やMF中島(当時東京V→現東京)ら、U-20までの日本代表の常連だった選手が名を連ねた。手倉森監督は首都マスカットに到着するや「中東(中途?)半端な戦いはできないな」と、得意のダジャレで第一声を発した。

 ▼1次リーグ

 第1戦(対イラン)3△3【得点者】原川力、浅野拓磨、中島翔哉

 第2戦(対クウェート)0△0【得点者】なし

 第3戦(対オーストラリア)4○0【得点者】中島翔哉2、矢島慎也、O・G

 ※C組2位通過

 ▼決勝トーナメント

 準々決勝(対イラク)0●1【得点者】なし

 ※ベスト8敗退

 1次リーグは1勝2分けの2位で突破したが、準々決勝でD組1位のイラクに敗戦。押されながら0-0で粘ったが、後半39分に失点。13年のU-20W杯で4強入りし、先発11人中10人にA代表経験があった同世代アジア最強国に敗れた。この世代は12年のU-19アジア選手権でも同じ準々決勝でイラクに敗れていた。

 最終予選は、この準々決勝で勝たなければ即座にリオ切符が消える。「仮想五輪出場決定戦」で返り討ちに遭った手倉森監督は「2週間の指導で勝てるほどアジアは甘くなかった」と初采配を振り返った。就任直後だったため、今大会は日本協会が選んだメンバーで挑戦。開幕前に正月返上でパワーポイントを駆使し、約10ページのビジネスマン顔負けのコンセプト資料を作成。仙台時代の基本陣形だった「4-4-2」と「堅首速攻」を植えつけたかったが、時間がなかった。

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