病床の星稜河崎監督、苦節30年で悲願成就

<高校サッカー:星稜4-2前橋育英>◇決勝◇12日◇埼玉

 不運で晴れ舞台に立てなかったが、星稜・河崎護監督(55)が就任30年目で悲願を成就した。25歳で母校の指揮を執ると、父潔さんから100万円を借りて遠征バスを購入。そのライトを照明にボールを追った。「勉強できない人間は戦術理解できない」と生徒を自宅に泊めて勉強会を開き、高校時代の本田圭佑を「お前なんかサッカーやる資格ない」と怒鳴る熱血漢でもあった。

 サッカー指導者にとどまらないマネジメント力は、本田に「政治家」と言わしめる。88年に「石川県ユースサッカーフェスティバル」を創設。夏に他県の強豪を呼んで強化を図るため、前橋育英など数校と始めた。現在は約140チームまで増え、4部制で昇降格のあるリーグに拡大。同時に地元の宿泊業も支えるなど影響力はピッチ外に及ぶ。

 この初優勝は天国の父にささぐ。裏方だった潔さんが2年前、脳梗塞で亡くなった。79歳。準決勝で敗れた2日後だった。「負けちゃったよ」が最後の言葉。昨年も準優勝。明日14日の命日を前に、いい報告ができた。

 ◆河崎監督の事故と容体

 大会前の昨年12月26日、助手席に乗った車が愛知県内で接触事故に遭った。星稜の干場校長は「外傷はなかったが、シートベルトが内臓を圧迫したため緊急手術を受けた」。命に別条はないが症状は軽くなく「トイレや食事など身の回りのことが最近できるようになった」という状態だった。

 

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