3回転半と1度「お別れ」/真央連載3

[ 2014年2月2日9時31分

 紙面から ]

 浅田真央と言えばトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)。現役ではただ1人しか試合での成功がなく、日本人の大会での成功は伊藤みどり、中野友加里を含めた3人しかいない。その武器とどう付き合うのか。10-11年からの2シーズン、10年バンクーバー五輪銀メダリストは大きな転機に直面した。

 決断のきっかけは「エースの決断」だった。11年11月のNHK杯。自分も数時間後にフリーを控え、ホテルでメークをしながら見やったテレビでの高橋大輔の演技に、心が動いた。フリーで4回転ジャンプを回避しながら、その他のジャンプ、ステップ、スピンの完成度で加点を稼ぎ、表彰台の一番上に立った。「こういう戦い方もあるんだな」。その時点では安定感を欠いていた大技を回避して優勝した日本男子のエースに自分を重ねた。そして、心は決まった。「3回転半を封印しよう」と。

 それまでは-。10年9月から学ぶ佐藤コーチの毎試合前の口癖は決まっていた。「ダブルアクセルでいったほうがいい」。体の上下動をなくす滑りを目指し、必然的にジャンプの入り方も変わった。慣れないタイミングの習得に、跳ぶ感覚も以前とは違う。その過渡期に、高難度の3回転半を跳ぶことは至難の業だ。

 ただ、初めて成功した小6の夏から、跳ぶことがモチベーションだった。同コーチは必ず「最後の判断は任せます」と尊重してくれたが、回避へと気持ちは向かない。だから、挑んだ。そして、失敗を重ねた。11年NHK杯のSPまで出場6大会11度の挑戦で成功は2回。転び、乱れ続けた。

 その折に、高橋の決断を見た。直後のNHK杯のフリー、さっそく行動にでる。氷上で体を回したのは2回半。問題なく成功し、順位を1つ上げて準優勝。そして、次戦のロシア杯ではこう言った。「アクセルなしにして、得点も出ましたし、十分これでも他の選手とも戦えるんだなと。なくてもできるんじゃないかなっていうのは、少しずつ感じてきています」。優勝したこの大会ではシニア大会で初めてSP、フリーとも3回転半を跳ばなかった。

 そうして1度、トリプルアクセルとの「お別れ」を決めた11年の冬-。ただ、その直後、もう1つの大きな「別れ」が待っていた。【阿部健吾】

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