アジア王者の井上大仁が初V狙う/ニューイヤー駅伝

全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)をアジア大会マラソン金メダリストの井上大仁(25=MHPS)が走る。4区(22.4キロ)起用が確実で、チームの要(かなめ)として初優勝を目指す。

同じく4区にはMGC(※)の出場権を持つ選手が集結。ホンダは設楽悠太(27)、トヨタ自動車は藤本拓(29)か服部勇馬(25)、富士通は中村匠吾(26)、黒崎播磨は園田隼(29)、九電工は大塚祥平(24)、日清食品グループは佐藤悠基(32)が同区間を走る予定だ、元旦のニューイヤー駅伝は、19年長距離界最大イベントの前哨戦として注目が集まる。

井上はニューイヤー駅伝では入社以来3回連続で4区を走り、区間3位、3位、2位と安定した成績を残している。そしてその走りを、16年は3月の初マラソンに、17年は2月の東京マラソンの日本人トップに、そして18年は東京での2時間6分54秒(日本歴代5位)の快走に結びつけた。

17年8月のロンドン世界陸上は26位と、世界の壁に跳ね返された。しかしそれから1年後のジャカルタアジア大会では金メダルを獲得。日本人選手が32年ぶりにアジアの頂点に立った。

井上は「ニューイヤー駅伝4区→冬の国内マラソン→夏の国際大会マラソン→ニューイヤー駅伝4区」のサイクルを利用して、自身のレベルアップに成功している。4区の走り方を井上は、次のように話す。

「20キロくらいの距離であれば、最初からアクセルを踏むくらいでないとマラソンは走れません。かといって、力みすぎたらダメなんです。特に自分の場合、気負うと走りは空回りします」。

MGCでの強力ライバルの1人である設楽との対決についても同様の考えだ。

「もちろん勝ちたいです。でも、そこだけに固執すると、周りや自分の力を見誤って、力を出し切れないことになる」。

高校時代(長崎・鎮西学院)は全国的には無名だった。山梨学院大入学後に力をつけたが、1、2年時は駅伝でトップ選手と対戦すると力を出せなかった。その才能が3年時に開花。全日本大学駅伝2区で大迫傑(当時早大4年。現ナイキオレゴンプロジェクト)と同タイムの区間賞を獲得した。

大学4年時の箱根駅伝3区で出場。2区を予定していた留学生選手欠場の影響で、最下位でタスキを受けた井上だったが、区間3位の快走で悪い流れを一変させた。チームは2区終了時の最下位(20位)から徐々に順位を上げてシード権獲得(9位)を果たし、関係者や駅伝ファンを驚かせた。井上の快走は区間賞の価値があったと評価される走りだった。そこから井上は、駅伝でどんな展開になっても力を発揮している。

今回のニューイヤー駅伝は、好位置でタスキを受ければもちろんトップ進出を狙う。しかし先頭との差が大きければ、どう走れば最大限の力を発揮できるかを考える。「今の自分の力を出し切って、区間賞を取れれば、と思っています。チームは初優勝を狙っていますが、自分がしっかり走ることでチームを引き上げられる。それがマラソンにもつながっていきます。駅伝を走ることはすごく大事なことなんです」。

マラソン次戦は未定だが、MGC対策を行うための大会に出場するという。19年の井上は「ニューイヤー駅伝4区→MGC対策のマラソン→MGC」のローテーションで、東京五輪に向けて突き進む。

※MGC=マラソン・グランドチャンピオンシップ。東京五輪マラソン代表選考会。