東海大・両角監督、教え子大迫から「勉強」し悲願V
<第95回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)
東海大が出場46回目にして悲願の初優勝を飾った。往路2位から8区で東洋大を逆転。新記録となる10時間52分9秒で平成最後の箱根路を駆け抜けた。
大学駅伝界でも頂点に導いた東海大の両角速監督(52)には“ライバル”がいる。長野・佐久長聖高時代の教え子、10月のシカゴマラソンで2時間5分50秒の日本記録を樹立した大迫傑(ナイキ)だ。その活躍ぶりを、「彼なりの『両角先生、こういうやり方もあるんだよ』というメッセージ」と受け止める。
大迫は早大、日清食品をへて米国に渡り、いま所属するのは16年リオデジャネイロ五輪の長距離のメダリストらが集う「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」。少数精鋭で、独自の理論、練習方法で鳴らす集団だ。そこで成長著しい教え子が、日本記録。これを両角監督は「私も新しいことを求められている。彼を通じて勉強になりますね」と刺激にする。
東京から教えを乞うために、長野にやってきた大迫は衝撃的だった。「負けた時の悔しがり方は他の子にはない」。無類の負けず嫌いが気持ちの強さを生む。トラックに何度も拳を打ち付ける姿を見た。練習から先頭でないと気が済まなかった。「勝負にかける思いはひと味もふた味も違うものがあった」。その指導経験をいまも選手に伝える。
東海大着任後も世界で戦える選手の育成を掲げ、試行錯誤してきた。クロスカントリーコースや、13年には大学にいながら標高4000メートルの高地トレーニングを行える低圧室も設置した。トラック重視のスピード練習にこだわってきた。ただ今年、箱根仕様も取り入れた。起伏に富む1周7・5キロの「秘密のコース」で秋から調整した。それは同監督には「新しいこと」。日本一の教え子に触発された側面もあっただろう。
現役時代には89年、昭和最後の箱根駅伝を走った。指導者としては平成最後の優勝監督となった。「今後も施設の拡充や、新たな人材を招いて科学ともタイアップしていきたい」。新元号となっても、新たな挑戦を続けていく。【阿部健吾】
◆両角速(もろずみ・はやし)1966年(昭41)7月5日、長野県生まれ。東海大三高から東海大に進学。箱根駅伝は1、2年で3区、3年で1区、4年で2区を走った。08年に佐久長聖高を率いて全国高校駅伝優勝。11年4月から東海大陸上部駅伝監督を務める。