8区を区間賞に1秒差の2位で走ってトップを守り、反撃をかわして優勝への道筋をつけた。昨年は4区で低体温症になるなど区間15位とブレーキ。5連覇を逃す“敗因”となった。今季も帯状疱疹(ほうしん)や3度の右膝負傷に見舞われたが、乗り越えて頂を奪い返した。
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岩見が戸塚中継所に飛び込んだ。区間2位、でも笑顔だ。ガッツポーズだ。トップでたすきを受け、東海大の昨年MVP小松から逃げ切った。無になりたいと時計を初めて外して走り、淡々とピッチを刻む。海岸線に別れを告げて湘南新道に入ると、遊行寺のきつい坂も踏み越えた。区間賞の敵エース小松に1秒差と肉薄し、2分ジャストのリードを守った。
「もっと詰められるかと思ったので良かった」と岩見が納得すれば、小松は「1秒しか差を縮められず申し訳ない」。前回覇者の東海大にとって最後の逆転チャンスだったが岩見が阻んだ。優勝を決定づけた。敗者の弁が勝因を物語った。
1年かけて悪夢から覚めた。昨年は4区で15位。低体温症で意識が薄れ、気付いたら報告会で涙を流していた。東洋大・相沢に抜かれ、トップと3分30秒差の2位に陥落し、チームも総合2位で5連覇を逃した。
「走りたくない…」。ふさぎ込んだが、原監督に10日後のハーフマラソンに強制出場させられた。「箱根の借りは箱根でしか返せない。1年間、逃げずに戦いなさい。やっぱり期待してるから」。走った。走りまくった。「自分のせいで負けたから」。5月。腹部の表裏に帯状疱疹(ほうしん)が出た。疲労が極限に達すると出る神経系の病。思い詰めてしまう。痛みで一睡もできない日々だった。
投薬で痛みが治まった翌月。「走らないと。取り戻さないと」。6、8月に右膝負傷。「焦りから痛みを隠して」走っては内側広筋を痛めた。計1300キロの走り込みを予定していた夏場に半分以下の600キロだけ。10月には再発した。また沈みそうだったが、今度は「借りを返したい」思いが勝った。大腿(だいたい)四頭筋を鍛えれば速くなる体質分析に基づき、そこを鍛えて箱根2週間前の1万メートル記録会で復活。自己ベストに3秒差に迫る28分52秒を出した。2日前の元日に8区起用を告げられた。
昨年は出場決定後に食事できなくなるほど緊張したが、1年を振り返れば自信しかなかった。当時の映像は1度も見ていないが、教訓だけは覚えている。快晴だったが、低体温症対策で防寒具を両腕にはめた。抜かりも気負いもない。すべては「迷惑をかけた仲間や先輩のためだった」。1年後に返り咲いた箱根路。最高の走りができたからガッツポーズした。【木下淳】
◆岩見秀哉(いわみ・しゅうや)1999年(平11)3月24日、兵庫県市川町生まれ。鶴居小4年の時に競技を始め、鶴居中から須磨学園高。2、3年時に全国高校駅伝出場。高校、青学大OBの秋山雄飛(中国電力)にあこがれて進学。自己ベストは5000メートル14分3秒、1万メートル28分49分13秒。趣味はテレビ鑑賞。170センチ、52キロ。血液型B。
◆昨年の青学大VTR 史上3校目の5連覇を狙った青学大は、往路で8位と出遅れた。3区森田が8位でタスキを受けると、1時間1分26秒の区間新記録でトップに立ったが、4区岩見が低体温症で体が動かず1時間4分32秒で区間15位の大ブレーキ。5区竹石も区間13位と失速し、往路は5時間32分1秒の6位で1位東洋大に5分30秒差をつけられた。巻き返しを誓った復路では、6区小野田がまず区間新の快走。その後も9区吉田圭の区間賞を含め、全員が区間2位以上の強さで復路優勝となった。しかし、総合では優勝した東海大に3分41秒及ばず2位だった。