駒大V大八木監督「怒」「褒」昔8:2、今は5:5

  • 10区残り1キロで石川(右)に車から声をかける駒大・大八木監督(中央)(代表撮影)
  • 総合優勝のゴールテープを切る駒大10区石川(代表撮影)
  • 記者会見を終えてガッツポーズをとる駒大の、左から大八木監督、10区石川、主将の神戸、主務の青山(代表撮影)

<第97回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

駒大の大八木弘明監督(62)が、チームを今季の大学駅伝2冠に導いた。

平成だけで21回も「大学3大駅伝」を制した名監督だが、08年の箱根を最後に勝てない時代が続き、09、18年には箱根のシード権を逃すなど、指導方針に悩んでいた。時代の流れに苦しみながら、選手との接し方を変えて、また新しい黄金時代を築こうとしている。

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時代の流れか-。昔のように、愛情を持ちながら、怒鳴っても、選手はついてこなくなった。大八木監督は「今は、昔のやり方ではやめてしまうから」と笑う。代名詞である「男だろ!」の喝で有名な闘将だが、コミュニケーションの取り方を変えてきた。

昔は「怒る」と「褒める」の割合が「8・2ぐらい。今は5・5ぐらいになったかな」。焼けた肌に鋭い視線と迫力の声だが、最近は表情が柔らかくなった。緊張感は保ちながら、過度に萎縮をしないように心掛ける。黄金時代を築いた頃は選手から声をかけるのを待っていたが、それも違う。自ら積極的に「何があった?」「いい練習だったな」「元気がないな?」などと声をかける。

年齢の壁にも立ち向かった。若い時は朝練習に自転車で毎日、選手の走りについていったが、低迷した時はできてなかった。これでは熱意が伝わらないのでは-。そう深く反省した。最近は朝練習では自転車で選手の伴走をする大八木監督の姿がある。

選手からは「第2の父」と慕われ、選手のことは「息子たち」と呼ぶ。監督業は「子どもを育てているようなもの」と話す。LINEもアカウントは持っているが、「文字だけで状況が分からないから、そういうの好きな方じゃない。電話とか直接会って話をしたい。声のトーンとか話し方で察するものもある」。時代の変化とともに変わる姿勢もあるが、“息子”に対する愛情はずっと変わらない。62歳。「個人で日の丸を付ける選手を育てる」ことも目標。指導の意欲は衰えていない。【上田悠太】

◆大八木弘明(おおやぎ・ひろあき)1958年(昭33)7月30日、福島県生まれ。会津工卒後、川崎市役所などを経て83年に24歳で駒大夜間部に入学。1年で5区区間賞、2年は2区5位、3年で2区区間賞を獲得。4年は年齢制限で出場できず。卒業後はヤクルトで活躍。95年に母校のコーチとなり、助監督を経て04年から監督に就任。主な教え子はマラソンの元日本記録保持者の藤田敦史、東京五輪代表の中村匠吾ら。