やり投げ・新井涼平、世界初舞台でリオ五輪切符狙う
やり投げ 新井涼平
入賞がやるべき最低限のこと
- 雨の中の練習を終え、笑顔でヤリを運ぶ新井
6月の日本選手権。新井が、最終の6投目にビッグスローを放った。新潟の空に放物線を描いて、大会新記録の84メートル13で連覇を達成した。すでに日本陸連が定める派遣設定記録(84メートル32)を突破していたため、この瞬間、初めての世界切符を手にした。
新井 世界選手権は、想像もしていなかった世界です。絶対に自分の中で届かない試合と思っていた。(年齢的に)早いとか遅いとか考えたこともないです。
昨年4月の織田記念国際(広島)で当時、日本歴代3位の85メートル48をマーク。村上、ディーンに続く第3の男として、注目を浴び始めた。昨秋の仁川アジア大会では銀メダルを獲得。そして同年10月の国体(長崎)でビッグスローを刻んだ。89年溝口和洋がマークした日本記録(87メートル60)まであと77センチに迫る86メートル83。日本記録更新を視界にとらえている。
新井 自分の中で、世界選手権での入賞がやるべき最低限のことだと思う。メダルは、練習がしっかりうまくいっている中ならば、見えてくる。試合の中で修正していくこともできるようになった。試合に合わせて体調をつくっているので、いつも自分が思っている以上にできる場面もある。
今年2月、南アフリカ遠征で食あたりに見舞われて緊急帰国した。体重が5キロも落ちた。遅れを取り戻そうとして、調整が狂った。体重を戻すために、プロテインを多めに摂取した。体重は何とか戻したが、今度は腰や脇腹のけがに見舞われた。
新井 けがは、体重を無理やり戻そうとして、弱い筋肉がついたからだと思う。いきなりつけたものは壊れるのも早いなと思った。こんな体(183センチ、92キロ)ですが、中身が弱いんで…。
シーズン当初は出遅れたが、日本選手権できっちりと結果を出した。
ディーン元気を追ってトップ選手に
- 力強い助走でヤリを投げる新井=国士大グラウンド
高校1年からやり投げを始めて、高校3年の高校総体は4位だった。同じ学年のディーンが優勝している。そのディーンを追って、向上に努めてきた。
新井 学生のころは(ディーンは)絶対に届かない、届いても上をいかれる。そんな存在だと思ってみていた。高校総体でもそうでした。技術としては絶対にまだ勝てないというのが自分の中にあります。やり投げに関する知識量では絶対にまだ勝てないと思う。
北京世界陸上は不調だった村上、ディーンともに出場を逃している。新井が日本男子やり投げを背負って、出場する。
新井 絶対に100%は無理だとしても、世界選手権は85%の力を出さなければいけない試合。日の丸を背負うということはそういうことだと思う。
北京世界陸上で8位以内に入れば条件付きでリオ五輪の代表に内定する。新井が五輪切符獲得を視野に入れ渾身の投てきを見せる。
新井涼平(あらい・りょうへい)
1991年(平3)6月23日、埼玉県生まれ。皆野高1年時にやり投げを始め、国士大をへて、14年4月にスズキ浜松ACに加入。国士大3年時に日本選手権3位、同4年時にユニバシアード8位。183センチ、92キロ、血液型はA。