京都工学院、花園逃すも「伏見工」の熱さは変わらず
<全国高校ラグビー近畿ブロック代表決定戦:報徳学園24-21京都工学院>◇21日◇準決勝◇奈良・天理親里競技場
伏見工時代に花園制覇を4度経験した京都工学院(京都2位)が、第100回記念大会の出場を逃した。
00年度、主将として同校3度目の全国制覇に貢献した大島淳史監督(38)は「名前が変わっても、伏見の歴史、精神を引き継がないといけない。子どもたちはその中で一生懸命やってくれた。(花園へ)連れて行ってあげられず、申し訳ない」と唇をかみしめた。
あと1歩の戦いだった。前半3、6分に連続トライを挙げて14-0。早々に主導権を握った。だが、14点リードの前半ロスタイム。トライ目前で攻撃が途絶え、一気にたたみかけることができなかった。
後半に入ると、相手の猛攻で守りの時間帯が続いた。2トライ2ゴールで同点に追いつかれ、最後はロスタイムのPGで勝ち越しを許した。FB寺山廉太郎(3年)は「大きな節目の年。『新しい歴史をつくろう』とミーティングで話していて、それが自分たちでできなかったことが、すごく悔しいです」と正直な思いを明かした。
伏見工と洛陽工の統合により、16年春に誕生した京都工学院。校名こそ変わったが、80年度に元日本代表監督の平尾誠二さんを擁し、山口良治監督(現総監督)の下で花園初優勝を飾った当時と、変わらないものがある。
赤と黒のジャージー、大切にする「信は力なり」の言葉。大島監督は「伏見」という言葉を用いて、教え子たちの努力をたたえた。
「伏見の熱さ、試合にかける情熱。そういうところは近年(のチーム)よりも、彼らにものすごくあった。本当に大事な部分を、この(新型コロナウイルスによる活動制限で)しんどい中でも前進させてくれた」
必ずや立ち上がる。【松本航】