【高校ラグビー】前身伏見工の京都工学院が初の花園切符「本当の復活は花園で勝つこと」大島監督

  • 現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院・山口良治総監督は観客席で涙ぐみながら取材に応じる(撮影・横田和幸)
  • 「信は力なり」のモットーを貫き現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院(撮影・横田和幸)
  • 現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院(撮影・横田和幸)
  • 現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院。主将の広川陽翔が胴上げされる(撮影・横田和幸)
  • 現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院(撮影・横田和幸)
  • 前半、先制のPGを決める京都工学院の2年生SO杉山
  • 前半、ラインアウトをキープする赤のジャージーの京都工学院
  • 花園出場を決めた京都工学院・大島淳史監督(中央)は選手と涙ぐむ(撮影・横田和幸)
  • 現校名で初めて花園出場を決めた京都工学院(撮影・横田和幸)

<全国高校ラグビー大会・京都府予選:京都工学院10-8京都成章>◇10日◇たけびしスタジアム京都◇決勝

全国優勝4度を誇る名門・伏見工から学校統合により、16年に校名変更となった京都工学院が、9大会ぶり21度目の花園切符をつかんだ。現校名では初めての花園になる。

10大会連続となる京都成章との決勝戦。8連敗中だった京都工学院が、宿敵に2点差で競り勝った。ともに1PG、1トライずつを奪い、コンバージョンキックの成否が勝敗を分けた。

19年に就任した大島淳史監督(42)は「子どもたちに感謝です。赤黒のジャージーを待っていたファンが、たくさんいてくださった。花園に戻れてよかった」と静かに喜んだ。

観客席には、伏見工監督(のちに総監督)として黄金時代を築いた「泣き虫先生」こと、山口良治総監督(81)が見守っていた。

00年度に3度目の花園優勝を飾った当時の主将で、教え子にあたる大島監督は「僕らも山口先生に育てていただいた。先生からは『お前、俺はそんなに長くないよ』『いつまでも元気じゃないよ』と、温かい重圧をかけていただいていた。本当によかった」と涙ぐんだ。

部訓の「信は力なり」の言葉をパンツに縫い付け、愚直なまでの守備を貫いた。前夜は京都市内の旅館に泊まり込み、試合に出られない3年生の涙ながらの激励を受けた。主将のFB広川陽翔(はると、3年)は「自分の前(左中間)が空いたので、ここで決めないと主将じゃないと思って決めた。最高です」と、決勝トライにつなげた。

山口監督時代の伏見工がモデルになり、生まれたテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」。生まれる前のドラマだが、「見たことがある」という広川は「山口先生は、もう伝説ですね」と、常に温かく、厳しく応援してくれる総監督に感謝している。

15年度に伏見工として最後の花園に出場し、9年がたつ。大島監督は「花園に出ただけで喜んでもらえるチームではない。本当の意味の復活は、花園で勝っていくこと。花園でもう1度、輝く姿を見せたい」と、さらなる飛躍を誓っていた。


◆スタンドで観戦した山口総監督「この9年間は長く、悔しい思いばかりだった。全国のファンが赤のジャージーを待ってくれている。令和の子がタックルで花園に連れていってくれた」

◆京都市立伏見工(現京都工学院)ラグビー部 1959年(昭34)に創部され、山口良治監督(現総監督)が赴任した74年以降、テレビドラマの舞台になるほどの強豪校に。80年度に花園初優勝を飾り、92年度に2度目V。山口監督が退任後は総監督となり、00年度に3度目、05年度に4度目V。主なOBは大八木淳史、平尾誠二ら。素早い集散と展開ラグビーが伝統で、愚直なまでのタックルなどの守備も受け継がれる。98年に高崎利明監督、15年に松林拓監督、16年に学校統合により京都工学院へ校名変更、19年に大島淳史監督が就任。