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“W杯を断たれた世界のSOクエイド・クーパーは言った「陽はまた昇る。次へ進もう」
彼は、W杯にいるべきはずの選手だった。ただ、オーストラリア代表のメンバー発表に名前が呼ばれることはなかった。35歳になった今でも世界的なフライハーフ(SOの別称)として君臨するクエイド・クーパー。大黒柱を失ったチームは史上初めて1次リーグで敗退。来日してすぐの10月初旬、彼を訪ねた。紡ぎ出された言葉をここに描く。
“平尾誠二に救われてここまで来た 山中亮平、ラグビー日本代表を救う男
一度はどん底にいた男がW杯に戻ってきた。リーグワン神戸のフルバック(FB)山中亮平。日本代表入りは確実と思われながら落選し、1次リーグ第2戦となるイングランド戦で負傷者が出た影響で追加招集された。大会前のインタビューで明かした決意。彼には活躍を伝えたい人がいた。(敬称略)
“ジャパン最後の日、平尾誠二が残した思い「いつかゴール前でスクラムを。そんな代表に」
ラグビー界の伝説となる平尾誠二が、日本代表監督に就任したのは1997年だった。史上最年少の34歳。まだ現役だった。1999年W杯を経て、翌2000年秋のアイルランド遠征後に辞任を表明する。知られざる「平尾ジャパン最後の日」。日本代表へ残した言葉があった。(敬称略)
“最後のサムライ”が語る真相 なぜ日本ラグビーは世界で勝てなかったのか
日本ラグビーが、世界に歯が立たない時代があった。W杯で母国を率いた日本人は5人。わずか1勝である。2003年、最後に大舞台に挑んだ日本人監督が向井昭吾だった。本当に勝てる要素はなかったのか-。20年の時を経て真相を聞いた。(敬称略)
「龍、チャレンジやで…」平尾誠二“最後の教え子” 10年後、たどり着いた約束の場所
「ミスター・ラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんが託した夢があった。他界する3年前、1人の少年を指導した。それがきっかけとなって少年はラグビーを始め、新国立競技場を目指した。あれから10年-。彼は約束の場所に立ち、そこでユニホームを脱いだ。
【ラグビー激動の1995〈1〉】むせび泣いた堀越正己 震災と連覇背負った神鋼主将
日本ラグビー界において1995年度は激動のシーズンだった。日本代表はW杯でニュージーランドに147失点の惨敗。暗黒の時代だった。阪神淡路大震災で被災した神戸製鋼は、敗れずして連覇が7で途絶えた。当時の選手の生きざまを描く6回連載。第1回は神戸製鋼SH堀越正己(現立正大監督)。(敬称略)
【激動の1995〈2〉】「夢はずっと夢のままかと」サントリー中村直人、その生き様
7連覇中の神戸製鋼を止めたのはサントリーだった。その3年前に入れ替え戦に回っていた男たちは、いかにして絶対王者の道を閉ざすのか。当時の選手の生き様を描く連載の第2回。元日本代表プロップの中村直人を京都に訪ねた(敬称略)。
【激動の1995〈3〉】姉ちゃん勝たせてくれ…サントリー尾関弘樹の祈り
神戸製鋼の連覇を止めたサントリーは、決勝まで勝ち進んだ。相手は三洋電機。後半途中まで一時は19点差をつけられながら、ベテランWTB吉野俊郎の連続トライで7点差に迫る。迎えた後半ロスタイム。再び、奇跡は起きた。連載の第3回はWTB尾関弘樹。(敬称略)
【激動の1995〈4〉】三洋電機、悲願までの数センチ 杉山篤が届かなかった背中
オールドファンなら記憶に残っている人もいるだろう。95年度の全国社会人大会決勝。終了間際に劇的トライを挙げたサントリーのWTB尾関弘樹を追いかけたのは、プロップの選手だった。あと数センチ-。三洋電機にとっては繰り返された悲劇。連載の第4回は杉山篤を訪ねた。(敬称略)
【激動の1995〈5〉】永友洋司右足の奇跡 源にある北島忠治の教えと挫折知る強さ
最後に同点のゴールを決めたのはサントリーの主将、永友洋司だった。神戸製鋼の連覇を止めた1回戦、三洋電機との決勝。いずれも劇的な幕切れだった。体の小さな男はいかにして日本を代表するスクラムハーフ(SH)になったのか。高校受験の失敗、大学での挫折。根底には明治の哲学、北島忠治の教えがあった。連載の第5回。(敬称略)
【激動の1995〈6〉】「戦犯」増保輝則に問う 日本が歩む道は正しいのか
1995年度はラグビー界が大きく動いたシーズンだった。日本代表はW杯で惨敗。神戸製鋼の連覇は7で止まった。「僕のインタビューにタブーはない」。そう言って赤裸々に当時を明かした人がいる。元日本代表で神戸製鋼のウイング(WTB)として活躍した増保輝則。連載の最終回。(敬称略)
【スクール☆ウオーズのそれから/1】京都一のワル 病に倒れてなお、教えたいこと
物語は終わりに近づいている。かつて“京都一のワル”と恐れられた山本清悟は、伏見工業時代の恩師である山口良治に教職から退くことを告げた。内臓を患い、今年だけで2度の手術を受けていた。「伏見工業伝説」(文芸春秋)を執筆した記者が描く「スクール☆ウォーズ」のそれから。
【ラグビーstory】高校0勝からプロ 引退年に起こしたドラマ…花園、不屈の男/上
ラグビー「リーグワン」で花園近鉄ライナーズが、奇跡的に1部残留を果たした。開幕14連敗から、入れ替え戦で2連勝。残留を置き土産に引退する35歳のフッカー樫本敦は高校時代、1度も試合に勝ったことがなかった。まるで「スクール☆ウォーズ」のような物語。残留へ導いた注目選手を紹介する第1回。
あけましてラグビーW杯イヤー!超えろ8強、桜の戦士「3テーマ別」現在地
[1月1日11:11]
あけまして今年もW杯イヤー! ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会が9月8日に開幕します。自国開催だった19年大会で初の8強入りをした日本代表は、前回以上の成績を目指して強化を続けています。20年はコロナ禍で1年間活動ができなかったが、過去2年で若手も台頭。約8カ月後の大舞台を狙う選手を「レジェンド」「実績組」「新戦力」の3テーマに分け、代表の現在地を特集します。
写真で見るリーチ・マイケルのルーツ フィジーの村で受けたおもてなし
[2022年4月11日11:03]
2019年ラグビーW杯日本大会で日本代表の主将を務めたリーチ・マイケルは、ニュージーランド人の父、フィジー人の母のもとに生まれました。過去最高の8強入りを飾る大舞台の直前、日本メディアを招待したのは母の故郷フィジーの村でした。同行した松本航記者は日本とのギャップ、そして温かい「おもてなし」に触れました。(2019年8月21日掲載。所属、年齢など当時)
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