<東京五輪パラリンピック 大会組織委員会「顧問会議」顧問 紺野美沙子(54)>

 2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会「顧問会議」の顧問に就任させていただき、昨年10月に初めて開催された顧問会議に出席しました。20年には私も60歳となって、区切りの年なんです。五輪は一生に1度あるか、ないかのことなので、ボランティアでも役に立てればと思っていました。だから顧問会議の顧問にというお話にはちょっと驚きましたが、年1回の会議に出るだけならとお引き受けしました。一主婦として、おばさんの視点、一般人の感覚を会議の場で正直に伝えていきたいなと思っています。

 1964年の東京五輪の時はまだ小さくて、ほとんど記憶はありません。五輪を強く意識したのは72年に開催されたミュンヘン五輪からでしたね。金メダルをとった男子バレーボールはもうテレビにかじりついて見ていました。大古(誠司)選手、横田(忠義)選手、猫田(勝敏)選手と、みんな格好良かった。私が通う学校の近くに(大古選手が所属した)日本鋼管の練習場があって、みんなで「大古選手を見たわよ」って、ミーハー気分で盛り上がっていました。テレビでもバレーボール選手を主人公にした「アタックNo.1」や「サインはV」が人気だった時ですからね。

 IOC総会で東京での五輪開催が決まった13年9月8日は、私の誕生日だったんです。当日は気になって早起きしてテレビを見てました。ロゲ会長が札を見て「トウキョー」と読み上げた時は感激しましたね。体操にしろ、水泳にしろ、スポーツで若い人が頑張っている姿に応援したくなります。それに五輪は多くの人の目標、希望になっていると思います。高齢の方なら、五輪開催までは元気でいようとか、主婦なら何らかの形でボランティアでかかわれたらと思ったり、10代なら出場という大きな目標を持っている人もたくさんいると思います。

 色紙には「世界に和(WA)の力を ! 」と書かせてもらいました。98年に国連開発計画(UNDP)の親善大使となり、世界各地で貧困などの現状を見てきました。その経験から、日本語の「和」はとてもいい言葉だと思うんです。ひとつにまとまっていく意味で、思いやりも大切ですからね。五輪開催を通して日本の良さが世界に伝わり、世界中の人たちと連帯していければと思っています。

(2015年02月25日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。