<アテネ五輪自転車チームスプリント銀メダリスト 伏見俊昭(39)>
アテネ五輪でメダルが決まった瞬間は言葉にならないくらい、本当に夢のようでした。五輪の表彰台はG1やKEIRINグランプリ(GP)を勝つことよりはるかに格別。もちろん、GPの雰囲気もすごいんですけど、こう思い出すと今でもまた味わいたいです。
五輪前の世界選手権。日本のチームスプリントは7位でした。下馬評でも「五輪でメダルは厳しいだろう」と言われていましたが、米コロラドスプリングズで日本代表では初の高地トレーニングで僕らは変わりました。今考えても体を酷使した厳しい練習でしたが、自分たちでも驚くほど成長できました。
迎えた五輪本番。予選では日本新になる44秒355が出て12チーム中3位に。自分たちですら「おおっ」と驚きましたね。次の1回戦ではオランダとの対戦で先着。タイムも44秒081で記録を更新し、総合2位でドイツとの決勝が決まりました。決勝前はお互い会話も作戦もなし。長塚智広君、井上昌己君と「お願いします!」と言って出ていったのを覚えています。
僕はあの銀メダルは、挫折があってこその結果だと思っています。00年のシドニー五輪では本番直前に代表から落選。これがターニングポイントでした。当時の僕には競輪の実績がなかった。だからナショナルチームを離れ、競輪で実績を積もうと。01年にオールスターと年末のGPを勝ち、選考会を経てナショナルチームに復帰しました。アテネ五輪前の日本選手権は、直前のメキシコW杯で落車して腰に激痛を抱えていました。でも「アテネに出たい」「日本一になって五輪に出るんだ」と思って優勝できた。これは五輪への大きな自信になりました。挫折でだめになる人もいる。それは人それぞれ。でも、自分は周りの人のおかげで挫折をプラスにできた。もし、あのままシドニーに出ていたら五輪出場で満足してメダルはなかったと思います。
競輪と自転車競技の両立は大変です。相手もいる競輪には落車のリスクもある。僕は北京五輪前に落車して骨折してしまった。ケイリンに出場したけど勝てませんでした。今でも「もっと体調が良ければ…」と思います。やはり五輪でメダルを争うには十分な準備期間が必要。代表をもっと早く決めるとか、1年くらい時間をあげるとか。でないと、競技だけに専念している欧州勢と差は開く一方です。ただ、東京五輪は自国開催のモチベーションが支えになるはず。気持ちの入った練習は効果が全然違いますからね。
今はとにかく競輪で結果を出したいと思っています。またG1やGPを勝って、胸を張って東京に出る後輩たちを応援したいです。(2015年05月13日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。