<重量挙げ選手強化本部長 兼日本代表男子監督 小宮山哲雄(54)>
山梨県の高校教員(吉田高)でしたが3月でやめ、4月1日から日本重量挙げ協会の強化本部長に就任しました。併せて日本代表男子の監督には08年の北京五輪以来、7年ぶりの復帰となります。教員という仕事にやりがいを感じていましたが、退路を断って、重量挙げ再建に取り組むことを決意しました。2020年の東京五輪まで見越しています。
単身赴任で東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)に常駐し、朝6時に起床して午前と午後に代表チームの練習を指導します。また、強化の統括として資料づくりなどの事務仕事もこなさないといけません。慌ただしい毎日で、あっという間に時間が過ぎていきます。山梨に残している家族のことを思うと寂しさはあります。でも今は、リオデジャネイロ五輪の出場枠がかかる世界選手権(11月20~29日・米ヒューストン)に向け、全力を尽くしています。
五輪の出場枠は、過去2年の世界選手権の合計ポイント(団体戦の国別順位)で決まります。男子は08年北京の獲得枠は3でしたが、12年ロンドンはたった1枠しか取れなかった。それだけに男子監督として、来年のリオで再び3枠に復帰させなければなりません。その3枠は24位以内が条件。ただ昨年の大会が28位だったので、今年は17~19位が目安。これは簡単ではありませんが、リオで3枠を取ることが、20年東京での4枠、5枠につながってくるので、ミスは許されません。私の持論はシンプル・イズ・ザ・ベスト。飾ったものはいらない。どこに的を絞って戦うかです。
1964年の東京五輪では、三宅義信さんが天皇陛下の前で金メダルを取った。当時、体操と同様に重量挙げも日本のお家芸でした。再び来る東京五輪。私はちょうど60歳になる年ですが、重量挙げ復活を果たしたい。強化スタッフや選手の所属指導者と協力し、リオでまず入賞、そして東京で表彰台に上げたいと思います。ただ、東京がゴールじゃなく、その先にもつなげたい。それこそレガシー(遺産)です。
(2015年06月24日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。