<パラ陸上女子走り幅跳び<T44・片下腿(かたい)切断>アジア記録保持者 中西 麻耶(30)>

 大分県佐伯市を練習拠点にしています。コーチは中学校の教頭先生ですので、自由に休みが取れません。でも、この恵まれない環境の中で結果を残したいですね。都会だから成功できるというイメージを持っている子どもたちに、大分でもできるんだということを示したいです。

 06年9月に仕事中の事故で右膝から下を失いましたが、翌07年9月には陸上の大会に出場しました。事故に遭うまで続けていたソフトテニスでは、どんなに苦しい練習をしても日本一になれなかった。だから初出場した08年北京パラリンピックは正直、なめていました。それが北京で他国のアスリートを見て「あっ競技スポーツだったんだ」と実感させられました。

 12年ロンドンパラリンピックは精神的に疲弊していました。米国を拠点にして世界トップのコーチに学びました。最初は練習場も分からず、英語もうまくしゃべれず本当に大変でした。なのに米国に行くのはステータスほしさだとか、派手好きだとか批判されました。一方で米国人選手は宿舎も高級ホテルで扱いが手厚い。私より成績の悪い選手が優遇されるというギャップにも悩みました。

 北京とロンドンではメダルを逃しましたが、今年のリオ大会は世界記録で金メダルを目標にしています。私のアジア記録は5メートル27で世界記録にあと19センチ。昨年の世界選手権は5位に終わりましたが、リオが目標なので焦りはありません。そして20年東京大会では6メートルジャンパーを目指します。6メートルを跳べれば、健常者と一緒に競技しても見劣りしないですから。

 ロンドン大会前は2度、資金難で世界選手権に出場できませんでした。資金捻出のためセミヌードカレンダーを出したときはすごいバッシングを受けました。今も企業への営業や講演活動をしながら競技を続けていますが、状況は少しずつ良くなっています。最近は企業と一緒に社会貢献活動にも取り組んでいます。記録や結果だけに価値観を求めて支援してもらうのではなく、中西麻耶と一緒にやって良かったと思えるイベントや啓発活動をしていくことで、スポーツが文化としてもっと認知されるようになると思っています。 

(2016年2月10日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。