<日本山岳協会会長 八木原国明(69)>
東京五輪・パラリンピックで、スポーツクライミングは開催都市の追加競技として、今年の夏にも正式に決まります。私は本当は山岳協会の会長になる予定ではなかったんです。今は、2期4年までと決めているから、19年で私は会長を退くことになります。それまでは、競技として確立されたスポーツクライミングを、多くの人に知ってもらえるよう、微力ながら力になりたいと思ってます。
私は山登りを続けてきて、ヒマラヤ登頂に情熱を燃やしてきました。だから、今の選手がやっているスポーツクライミングに取り組んできた経験はありません。でも、屋内に設置された壁も、自然の岩場も、根っこは同じ。同年代のじいさんたちは「あれは登山じゃない」なんて、今でも言ってるけど、クライミングは立派な競技です。世界に誇れる選手もいっぱい出ている。女子の小林由佳や、野口啓代など、本当に大したもんだと思います。
あの課題(コース)は、どう登るんだと、私も壁をみながら思案していると、選手たちは見事な運動能力で攻略していく。鍛えられた技、肉体、判断力を間近で見せられたら感服するしかない。今は日本ではサッカーや野球が主流だが、これからの若い人にはスポーツクライミングの魅力がきっと分かってもらえると信じています。
思えば、今から51年前の1964年(昭39)10月6日、聖火リレーのランナーとして前橋市内を約1・4キロ走りました。当時17歳の私は、前橋商の山岳部のキャプテンで生徒会長だったことから、大役が回ってきました。それから長い年月を経て、追加種目競技の会長として、東京五輪にかかわることになろうとは。ろくな努力もしないで、山で命を落とさず、生き残ってこられた、本当に幸せものです。20年東京五輪の本番で、スポーツクライミングを世界中の人が熱狂しながら見て、そこで日本人選手が金メダル争いをしてくれたら、そんなことを思い描きながら競技普及に取り組んでいます。
(2016年3月2日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。