<カーリング LS北見 吉田知那美(25)>

 日本で長野冬季五輪が開催されたのが1998年(平10)。そこで初めて正式種目となったカーリングを見て感動したことがきっかけで、翌年から競技を始めました。私にとって長野がスタートだったように、きっと東京で新しく採用される競技を見て、その競技を始める子供たちも出てくると思います。長野の時と同じく、20年の東京五輪でまた国全体で盛り上がる感覚が味わえるのはとてもうれしいです。

 14年のソチ五輪では「北海道銀行」の一員として出場しましたが、いいプレーができず、戦力外となりました。最高の舞台だったはずなのに自分の夢を自分で破ってしまった。でも、今では自分は甘かった、あれはいい経験だったと思えます。成長させてもらいました。

 その後、LS北見に移籍し、今年の世界選手権では準優勝することができました。カーリングは1度技術を身につけたら、それを伸ばしていくのは難しいと言われていますが、昨季が終わってから「まだいけるんじゃないか」とメンバーと再確認しました。初心者のように、1つ1つの技術でも伸びしろがあると信じています。まだ伸びる部分を120、150%でも伸ばしていこう、と。そこが世界一になれなかった理由だと思うので。

 よく競技中に笑っていると言われます(笑い)。カーリングは作戦の競技なのでわざと無表情にして、作戦がばれないようにしたりします。表情の豊かさ、喜怒哀楽が顔にでることで1度は悩んだことがあったのですが、今のチームになってから、それが私らしさなんじゃないかな、と周りのみんなが受け止めてくれて。私も無理してやらなくていいかな、と思えるようになりました。みんなが笑顔でプレーするチーム。これが私たちの一番戦いやすい表情だと分かりました。

 夏と冬の五輪は、つながっていると思っています。私自身も冬季五輪の2年前にある夏季五輪を見ることで、いつも刺激、パワーをもらっています。今回のリオでは、特に卓球女子団体が印象的でした。個人戦で力を出し切れなかった選手が気持ちを切り替え臨む表情、コートで戦う選手だけでなく、コート外でも応援し一緒に戦う3人の姿を見て、チームスポーツの強さを感じました。リオからまた大きな力をもらったので、平昌(ピョンチャン)で、しっかりと自分自身に〝リベンジ〟できたらいいなと思っています。

(2016年8月31日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。