<ソウル、バルセロナ五輪競泳200&400個メドレー 俳優 藤本隆宏(46)>

 私は今俳優をやらせていただいていますが、88年ソウル、92年バルセロナ五輪に競泳200、400メートル個人メドレーで出場したオリンピアンでもあります。

 ソウル五輪は高校生だったので、何が何だか分からないうちに事が進んでいったという感じでした。周りからメダルも期待されましたが、自分では絶対に無理だと。コーチと話して、ソウルは経験を積んで次を目指すという意識でのぞみました。実際にメダルを意識したのはバルセロナ五輪代表選考会後、広島でのアジア選手権で当時世界4位くらいの記録を出せた時でした。

 バルセロナ五輪400メートルでは日本人初のファイナリストになって、コーチ陣もメダルへの期待があったのかもしれません。でも自分は「金メダルを取りたい」「世界一になりたい」と狙っていました。今思えばそこが間違いの始まりでした。

 それまで予選はちょっと力を抜いて、力が余った状態で決勝を戦ってました。でも五輪は朝3時に起きて、午前中の予選に照準を合わせてしまったのです。予選で100%出して、その後昼寝をすれば大丈夫だと。ところが昼寝が出来ないんです。そのままのぞんだ決勝だったので、疲労が残っていたんだと思います。しかも「金メダルしかいらない」と思っていたので、最初のバタフライで飛ばしすぎて、思った以上に体が動きませんでした。

 実はもう1つエピソードがあります。決勝前にいつもは「さぁ、大和魂でがんばるぞ」と周りをシャットアウトして集中していました。でもこの時はアメリカの選手が「グッドラック」と握手を求めてきたんです。それに乗ってほろっときてしまったんです。「いいヤツだ」って。自分のせいですが、闘争心がちょっとなくなってしまったのです。あそこで握り返すぐらいの精神力が必要ですね。あんなことをされたことがなかったのですが、あれも五輪ならではですね。

 五輪は特別な場で一言では表せませんが、自分が人生をかけてやってきたことを披露できる場所でした。それから水泳を始めたころ一緒に練習していた緒方茂生さんの存在も大きいです。中学生で当時の日本記録を持っていた「怪童」が、調子が悪い時に涙を流していました。「スーパースターでも苦しいんだ」「同じ人間なんだ」ということを教えてもらいました。

 今年は大河ドラマ「真田丸」に出演させていただきましたが、あの経験が今の自分を作ってくれたと思います。やればできるということを教えてくれたのは水泳であり、五輪ですね。

(2016年11月30日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。