1964年の東京五輪の時に、俺は7歳だったんだけど…今でも、はっきり覚えているよ。小さいながらも、自分の中に「あぁ…俺って、日本人なんだ」っていう感情を芽生えさせてくれたのが、東京五輪だったんだ。自分が日本人だという意識はあったとしても、子どもだから、それ以上のことはよく分からないと思うんだ。でも、東京五輪の時に、自然と日本を応援する自分がいるわけじゃないですか。イデオロギーじゃないけど、そういうものが芽生えた気がしたね。
あまり、テレビが好きな子どもじゃなかったんだよ。野山を活発に走っていたんだ。でも、東京五輪は興奮したなぁ。始まったばかりの、カラー放送で見たんだよ。東京五輪で、すごく印象に残っているのが、三宅(義信)さんの重量挙げと、円谷幸吉さんの男子マラソン、あとはバレーボールの東洋の魔女だね。東京五輪は、俺のスポーツに対する思いを、芽生えさせたんですよ。
特に重量挙げの三宅さんは、あの小さい体で、あんな重いものを持ち上げる筋骨隆々の体を見た時に、本当に感動したんだよ。すごい接戦だった覚えがある。今、思うと…純粋に子どもを感動させてくれたんだよね。
当時は、漠然と野球選手になりたかった。僕らの時代は、まだサッカーがマイナーなスポーツで、ペレとかベッケンバウアーが出てきたのは中学生のころかな? だから、野球をやっていたんだけど…バーベルを上げたいとか、重いものを持ち上げたいという意識が、あの時に芽生えましたね。重量挙げをやりたいと思って、中学の時にボディービルセンターに通ったんだ。強くなりたいという思いが湧いたんですよ。そうじゃなかったら、俺はプロレスは見ていない。(後にプロレスラーになった)きっかけの1つかもしれないね。俺の少年時代のヒーローって、三宅さんなんだよ。
2020年の東京五輪では、コーチになった(三宅義信さんの弟の)三宅義行さんと、娘さんの宏実選手を見られるので、初めて五輪を生で見に行こうかと思っているんだ。現役プロレスラーの時は、自分がやる側だから五輪を見たいとは思わなかった。プロレスだって、試合の映像は全然、見ないんだよ。でも7歳の時に見た東京五輪が、50年以上もたって巡ってくる。だから、今回は見に行くよ。そして…地味かもしれないけれど、俺は重量挙げを見たいんだ。
(2018年1月10日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。