アナウンサー時代のあらゆる仕事の中で、一番思い出に残っているのが五輪の仕事です。

00年のシドニー五輪は、現地で取材する機会に恵まれました。女子柔道の「柔ちゃん」こと谷亮子選手(旧姓田村)の金メダルを間近で見ました。

4年前のアトランタ五輪で、確実視されていた金メダルを逃した直後「シドニーに向けて頑張ります」と話した姿が、印象に残っていました。一瞬にかけて4年間を歩んできた人が、最高の結果が出なくても前を向いて「シドニーで金」と言う。「すごいな」と。それ以来、シドニーまでの4年間を注目していましたし、取材もさせていただいたので、特別な思い入れがありました。なので、あの金メダルは本当にうれしかったんですけど、同時に「この4年間、私は何をやっていたのだろう」という気持ちが湧いてきました。

そして4年後にも同じ気持ちを味わいました。女子バレーはシドニー五輪の最終予選で敗れ、初めて五輪の出場を逃してしまいました。伝統を途絶えさせてしまったという選手たちの落胆ぶりは、見ていられないほどでした。しかし、そこからの4年間で一丸となってチームを立て直し、女子バレーはアテネ五輪の最終予選を首位で突破しました。

フジテレビで中継していたこともあり、出場が決まった夜に代表メンバーが社員食堂に集まり、ささやかな祝勝会を開きました。シドニーの悔しさも間近で見ていたからこそ、アテネへの切符は心からうれしかったのですが、と同時に、また思ったのです。「選手はこの4年間、頑張ってきて結果を出した。でも私は…。人をたたえて無力感にさいなまれる。こういう思いをするのは、もう嫌だ」。

こんな思いが、ロースクールに行き、弁護士を志す後押しをしてくれた気がします。いろんなことを犠牲にし、極限の中で戦っているアスリートの生きざまから感じることって、たくさんあると思います。自分の人生の主人公は、自分です。誰だって「よく頑張った」と自分に拍手をしてあげられるような瞬間を味わいたいですよね。感動するだけにとどまらず「自分もやってみよう」というきっかけになる。そんな東京五輪になって欲しいですね。

だからこそ、なるべく多くの人、特に子どもたちに生で競技を見る機会を与えて欲しい。子ども席を作ってあげるとか、何らかの方法を考えて欲しいと思います。五輪が与える影響力のすさまじさは、身をもって知っていますから。

今年の6月から日本バレーボール協会の評議員となりました。任期は4年。本番までの間に、代表が最高のパフォーマンスを発揮できる環境作りに少しでもお役に立てれば、これほどうれしいことはありません。東洋の魔女の再来を期待しています。

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