真っ赤なウエアの伊藤有希は、テレビカメラを横切って、真っ先に高梨沙羅を抱きしめた。「おめでと――」の歓喜の声が雪上にこだまする。悲願のメダルを決めて感極まる2歳下の好敵手の顔にほおを寄せ、一緒に泣いた。この不意を突く光景に、私は胸が熱くなった。白銀にそこだけ赤い花が咲いたような、美しいシーンだった。

 伊藤だってほんの2時間前までは、首にメダルをかけた輝ける自分の姿を思い描いていたに違いないのだ。昨季はW杯で5勝を挙げて、高梨に続く総合2位。日本の2枚看板としてメダルを期待されていた。しかし、この夜、神は彼女にだけ意地悪だった。ジャンプは2回とも不運な追い風に妨げられた。ソチ大会の7位を下回る、まさかの9位に沈んだ。

 華やかな裏側で、五輪は時に冷酷な一面をのぞかせる。運もスポーツ、敗北もスポーツ。そう理解はしていても、簡単に甘受できるものではない。なにしろ、辛い練習に、時に涙も流し、4年も耐えてきたのだ。会場には約50人の地元下川町の応援団もいた。「支えてくれた人たちが喜ぶ顔が見たかったのに、残念」という伊藤の深い絶望は想像すらできない。

 それでも彼女は取り乱さず、不運を恨むことも、腐りもしなかった。心の中で号泣しながら、しかし、その無念を自分の胸にしまい、ライバルを祝福するために駆けだしたのだ。きっと彼女は長い時間をかけて、競技力とともに、人間力も磨いてきたのだろう。そして、そんな素晴らしい好敵手に出会えたから、高梨も成長できたのだと思う。

 インタビューで伊藤は「4年前、すごく苦しい思いをしたのを見てきたので、よかったと思った」と、高梨を抱きしめた理由を語り、自分も同じように苦しい思いをしていたことは口にしなかった。謙虚、忍耐、そして敬愛、2人の抱擁にスポーツの神髄が見えた。五輪は勝者だけのものではないのだ。これも伝えるべきオリンピック。そして、伊藤に真っ赤なメダルを。【首藤正徳】


競技を終え笑顔の伊藤有希
競技を終え笑顔の伊藤有希