羽生結弦の金メダルの演技は、30年にも及ぶ4回転時代のフィギュアスケートの完成形なのだと思った。静かで優雅な流れの中、よどみなく、高くて美しい4回転ジャンプを何度も決めた。顔にも体にも力みがなく、まるで演技全体が芸術作品のようで、この競技が過酷なスポーツであることを忘れさせた。
91年3月にドイツのミュンヘンで行われた世界選手権で、88年に初めて4回転を成功させたブラウニング(カナダ)を取材した。当時はバレリーナのように優雅に舞うペトレンコ(ウクライナ)との2強時代。SP2位のブラウニングがフリーでペトレンコを逆転して3連覇を決めた時、隣のドイツ人記者がノートを机に放り投げて抗議したのを思い出す。
4回転登場以来、フィギュアスケートは芸術か競技かの議論が過熱し、ずっと途切れることはなかった。10年バンクーバー大会では、4回転を跳ばずに優勝したライザチェック(米国)に、銀メダルのプルシェンコ(ロシア)が「この種目はアイスダンスに名前を変えなければならない」とかみついた。
そんな論争が過去のものと思えるほど、羽生はジャンプと芸術的なスケーティングを見事なまでに融合させた。フリーの演技終了後、あのプルシェンコが「ユヅルを誇りに思う。なんて王者なんだ」というコメントをインスタグラムに投稿した。それが私はうれしかった。
羽生は15年に世界最高得点を連発したプログラム「SEIMEI」を再び選曲した。フィギュア界では同じ曲を長く使い続けると新鮮味が薄れ、思い切った挑戦もできなくなるため、シーズンごとにプログラムを変える選手が多い。しかし、彼はあえて慣れ親しんだプログラムに丹念にノミを入れ、細かいところまで磨き抜いた。それも異次元といわれる演技の要因だろう。今後、この手法が主流になるかもしれない。
ブラウニングが4回転トウループを初めて着氷させた後、次に難度の高いサルコウが成功するまで9年の時間を要した。しかし、ループ、フリップ、ルッツはすべて14年ソチ大会後に成功している。平昌大会では4回転をSPで18人が成功させ、ソチ大会では1人もいなかった2種類を跳んだ選手が9人に激増。フリーではネイサン・チェン(米国)が5種類を成功させた。この4年間ほど、短期間にジャンプが進化した例はない。その中心にいたのがループを初めて成功させた羽生だった。
五輪2大会連続金メダルという偉業は一方で、新たな時代到来をさらに加速させるだろう。4回転を芸術に融和させた羽生を超えるには、4回転半、さらには5回転のジャンプが必要になるからだ。体への負担はさらに大きくなる。そして、芸術との乖離(かいり)も再び生じるに違いない。羽生は「もうちょっと滑ると思う」と現役続行を表明した。異次元の先に何があるのか。今は想像ができない。【首藤正徳】
- 男子フリーの演技を終え、力強いガッツポーズを見せる羽生