スピードスケート女子団体追い抜きの日本の3選手は、一体の精巧なマシンのようだった。空気力学を最大限に追究した隊列は、まるで後方の2選手が先頭の影のようで、乱れることがなかった。タイムロスを最小限に抑えるための独特な先頭交代は、熟練の技の域だった。今大会日本勢3つ目の金メダルは、ものづくり大国ニッポンを象徴するようで、誇らしかった。
- 女子追い抜き決勝 隊列を組んで滑る、左から高木菜、高木美、佐藤(撮影・山崎安昭)
16年リオデジャネイロ五輪陸上男子400メートルリレーで銀メダルを獲得した日本チームの、あの精密なアンダーバトンパスを思い出した。個人では結果を出せなかった選手も、束になると世界と互角以上の戦いをする。献身、忍耐、緻密、日本人の特性を最大限に生かした技術で、再び世界の壁を突き崩したのだ。何とも爽快な気持ちになった。
1月に都内でお会いした猪谷千春さんの話が頭をよぎった。1956年コルチナ・ダンペッツオ大会のアルペンスキー回転で銀メダルを獲得した、冬季五輪日本人初のメダリストである。当時の日本は戦後復興の途上で、競技環境も情報も乏しかった。しかも、アルペンは欧米が圧倒的に強かった。どうしてあの時代にメダルが取れたのか。
猪谷さんの答えは明快だった。「僕には自分で編み出した技術があった。右に回る時に右足に体重を乗せて上体をひねっていた時代に、僕は反対の左足に体重を乗せて上体も左に残して回った。そうするとスピードが落ちない。だから欧米とも互角に戦えた。新しい技を生み出して、自分のものにした時、日本人は強いのです」
- 回転で銀メダル、日本に冬季五輪初のメダルをもたらし、3年ぶりに帰国した猪谷千春(1956年3月28日)
今回の金で日本のメダルは11個となり、長野大会の最多記録を更新した。羽生結弦と宇野昌磨は、大会前にループ、フリップという4回転ジャンプを史上初めて決めていたし、平野歩夢も出場選手でただ一人、連続4回転のエアを成功させていた。小平奈緒は肩を上げて体の重心を下げた大胆な『怒った猫』のフォームをつくり上げた。猪谷さんの言った通りだと思った。
新しい技術は教えられたことを練習しているだけではつくりだせない。創造力と発想の転換、勇気、そして高い志の証しでもあるのだ。「回転レシーブ」「月面宙返り」「バサロスタート」「トリプルアクセル」といった歴史を彩った技とともに、今大会のメダリストたちの技もまた、日本人の五輪の記憶に刻まれることになるだろう。
近年は急カーブで競技レベルが上がり、技術開発は肉体の限界に近づきつつあるといわれる。平野は昨年、エアの練習で肝臓損傷の重傷を負った。今後についても「レベルをさらに上げることは相当難しい」と話している。しかし、そんな時代だからこそ、日本の特性がまた生きる。それをこの日の金メダルが教えてくれた。【首藤正徳】