五輪が面白いのは、必ずしも実際の順位と自分の見た印象が合致しないところだ。それは選手たちに、自らの価値観や美意識、人生観を投影して見てしまうからだと思う。フィギュアスケート女子シングルの私の中の金メダルは、惜しくも4位に終わった宮原知子だった。

 フリーで演じた「蝶々夫人」は、派手さはなかったが、一つ一つの技に心が込められていて、実にていねいで、静かな艶やかさがあった。曲に合わせた切ない表情の変化も細やかで、それでいて芯の強さも伝わってきた。日本の女性の魅力をすべて集めたような演技は、美しい伝統工芸品のようにも見えた。

 フィギュアスケートの見どころの一つは、選手の演技に個性やお国柄が表れるところだ。宮原は152センチの小さな体で、蝶々夫人の悲哀を実に繊細に、謙虚に表現した。点数には出ない部分に、彼女にしか出せない「和の美」を見事に花開かせたと思う。ケガに悩まされながらも、我慢強く、丹精込めてつくり上げてきたことも伝わってきた。

 もちろん金、銀を独占したザギトワとメドベージェワの、メリハリの効いた華麗さと、激しい動きの中で跳ぶ高いレベルのジャンプは、それはそれで圧巻で、感動した。順位に異存はない。でも、派手で力強い美しさよりも、私は謙虚で、さりげない美しさの方により強くひかれた。これまで気づかなかった自分を見つけたようでもあった。

 すべてのジャンプを成功させて、自己ベストも更新した。それでもメダルには届かなかった。でも宮原は涙をこらえ、笑顔を浮かべて言った。「悔しいけど自分のやれることはすべてやりました。この場に来られて光栄でした」。そのけなげさ、切なさに、私はまた胸を打たれたのである。【首藤正徳】