日本中が高梨のメダル獲得を喜んだ。「本当に良かったね」と安堵(あんど)し「よく頑張ったね」と称賛した。ただの銅メダルではない。日本人の多くが待ち望んだメダルだった。

 高梨の故郷は、98年長野五輪金メダルの原田雅彦氏も生んだ北海道・上川町。同じ女子の伊藤有希やレジェンド葛西紀明らを生んだ下川町とともに「ジャンプの町」として知られる。中学生の頃から「天才ジャンパー」と期待された。屈託ない笑顔と子どもらしい言動、まだ女子が正式種目に決まる前から「ソチ五輪の星」として注目された。

 金メダル候補ながらソチ五輪では4位、涙で繰り返す「ごめんなさい」に、日本中が心を打たれた。挫折と復調、不断の努力、化粧がうまくなってどんどんきれいになる姿を、妹や娘を見る目で追ってきた。夏でいえば卓球の(福原)愛ちゃんのような存在。だから、感情移入できる。

 ただ、ジャンプ競技は過酷だ。スタートから着地までわずか10秒、空中は4、5秒しかない。その間に、少しでも風が吹けば失速する。4年間の苦労が、一瞬で吹き飛ぶ。どれだけ頑張っても、最後に成績を決めるのは「運」が大きい。男子はまだいい。ノーマルヒル、ラージヒル、さらに団体とチャンスがある。しかし、前回大会から正式種目になった女子はノーマルヒルだけ。1つ失敗すれば、次のチャンスまで4年も待たなければならない。

 そんな競技だからこそ、精神面が心配になる。実力があっても「五輪の重圧に勝てない」選手はいる。報道陣に追いかけられ、嫌な顔もせずに答える姿を見ていると、自省もこめて「かわいそうに」とも思う。ただ、今回はその負担が少し軽減されたかもしれない。清宮幸太郎が日本ハム入りし、北海道のメディアが殺到したからだ。とっぴな話だが、それで少しでも負担が軽くなったのなら「清宮効果」かもしれない。

 高梨のメダル獲得には日本中が沸いたが、喜ぶのはほどほどにしないと。高梨自身が銅メダルを「競技人生の糧」と言っているし、まだ成長は続きそうだ。ドラマが完結するのは4年後の北京大会。25歳の高梨の首には、きっと光り輝く金メダルがかかっている。【荻島弘一】