女子ダブルス決勝で世界ランク1位の高橋礼華(26)松友美佐紀(24=ともに日本ユニシス)組が、日本バドミントン界に初の金メダルをもたらした。同6位のリターユヒル、ペデルセン組(デンマーク)に2-1で大逆転勝利。奇跡の勝利を生んだのは、紆余(うよ)曲折を経て絆を深めた「タカマツ」“10年愛”だった。

 16-19。あと2点で負ける場面でも松友は「相手におっ、と思わせてやろう」と楽しんでいた。甘い球に飛び出し、17点目。相手の読みを外すコースに打ち18点目。19点目も前に思いきって詰めた。「覚えていない。夢の時間だった」という高橋が20、21点目と相手のミスを誘う、こん身のスマッシュを打つ。最後は2人の個々の技が最後の勝負を決めた。「先輩」「松友」と呼び合う2人。泣き顔を両手で覆う先輩の肩を、松友は笑顔で抱いた。

 出会いは01年。松友の地元徳島で行われた練習試合。「橿原ジュニア」の仲間とともに徳島に向かう車の中で、高橋は、強いと有名だった松友との対戦を「負ける!

 いらん」と嫌がった。結果は高橋の圧勝。その日2人は当時流行していたプロフィル帳で連絡先を交換。奈良と徳島で小学校卒業まで文通を続けた。

 結成は高橋が高2、松友が高1の07年秋。ペア組み替えの時期で、2人の名前はなかなか呼ばれない。「もしかして松友?」。予感は当たった。中学生の時に腰痛を発症し、3年間で個人タイトルを1つも取れなかった高橋にとって速さとうまさを持つ松友とのダブルスは光だった。「ダブルスがこんなに面白いのか」と驚きもあった。

 松友も一緒だった。「自分が持ってない部分を互いに補い、かみ合っている」。先輩を慕い、日本ユニシスに入部したが、松友はシングルス、ダブルス、混合「(単複)どっちもやりたい」と欲張った。

 松友がダブルス一本に決断したのは、11年に初めて女子ダブルス日本一になった後。「世界を目指すならダブルスの方が難しいと。そこを極めたら面白いんじゃないかと」。高橋は「その人の人生」と心で求めながらも、何も言わず待っていた。「待ってくださってありがたかった」と松友は先輩に感謝した。

 2人はいい意味でビジネスパートナー。他の日本代表ペアがいつも食事をともにするのに対し、2人はそれぞれ自由行動。コートの中でも必要以上に話さなかった。変化するのは12年のロンドン五輪後。代表選考レースで敗れた藤井、垣岩組が銀メダルを取ると悔しさとともに「次は私たちが金メダルを取る」(松友)と同じ目標が生まれた。「世界で勝つためにはどうしたらいいんだろう」(高橋)と考え、コート内外で会話が増える。速い展開で松友、高橋がそれぞれ攻めるペアの形が見えた。2人を指導する中島慶コーチ(54)は「2人には時間が必要でした」。時間が、最後の5点、勝利を生んだ。

 「東京に出たいとは思うが、私は私」と高橋。松友は「矛盾しているけど、金メダルを取っても満足していない。もっと強くなりたい」。続けるのか別れるのかは、まだ分からない。つかず離れずの2人らしく「タカマツ」は続く。